(大前提) 宝くじで1等が当たれば、金持ちになれるこれを認めた上で、今日の議論を進めます。まぁ異論はないでしょう。
さらに、2つのことを前提します。
(前提1) 宝くじの1等は 123456789 番であるもしこの前提が2つとも真ならば、ボクにとってとてもうれしい結論が成り立ちます。
(前提2) ボクは 123456789 番の宝くじを持っている
(結 論) ボクは金持ちになれるという結論です。 そうです、
(命題A) (1等は 123456789 番) かつ (ボクは 123456789 番を持っている) ならば (ボクは金持ちになれる)は 真 なのです。
でも結論が真になるのは、前提がすべて真である場合だけです。当たり前のことですが、前提が偽の場合は結論は成り立ちません。
さて、こんな状況を考えてみてください。
新聞を開いて宝くじの当選番号を見てみたら「1等は 123456789 番」と書いてあったとしましょう。つまり(前提1)が真 だということです。そこで机の引き出しから自分が買った宝くじを持ってきて、新聞に書いてある番号と照合するものとします。
さて、この場面で(命題A)が真 であることは重要ですか? もっともっと重要なことがありますよね。
それは何かというと、「自分の持っている宝くじの番号が 123456789 番であるか否か」ということです。(命題A)が真であることは当たり前であって、そんなことより(前提2)が真なのか偽なのか が重要なんです。
ですよね。
自分が買った宝くじの番号を先に見て、それから新聞を見る場合はどうでしょうか。
自分が買った宝くじに「123456789番」と書いてあれば、(前提2)が真 だということですね。それを確認して、次に新聞で「1等の当選番号」を調べるとしましょう。
さて、この場面で(命題A)が真なのか偽なのか を気にする人はいないはずです。人が気にするのは(前提1)が真なのか偽なのか ですよね。
では、(命題A)にはどんな意味があるのでしょうか? もちろん、それには大きな意味があります。それは ・・・(命題A)が真であることを論証することで、(前提)が真であることが示せるからです。
ウソです。前提の真偽判定に、論理は全く無力 です。
では、(命題A)は無意味なんでしょうか? もちろん、そんなことはありません。というのは ・・・(命題A)を唱え続ければ、結論が真になるからです。
ウソです。(命題A) を100回唱えても、1等が当たったりはしません。価値ある成果も情報も 論理は何ももたらしてはくれません。
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