2019年4月4日木曜日

宝くじを論理する

(大前提) 宝くじで1等が当たれば、金持ちになれる
これを認めた上で、今日の議論を進めます。まぁ異論はないでしょう。

さらに、2つのことを前提します。
(前提1) 宝くじの1等は 123456789 番である
(前提2) ボクは 123456789 番の宝くじを持っている
もしこの前提が2つとも真ならば、ボクにとってとてもうれしい結論が成り立ちます。
(結 論) ボクは金持ちになれる
という結論です。 そうです、
(命題A) (1等は 123456789 番) かつ (ボクは 123456789 番を持っている) ならば (ボクは金持ちになれる)
なのです。
 でも結論が真になるのは、前提がすべて真である場合だけです。当たり前のことですが、前提が偽の場合は結論は成り立ちません。

 さて、こんな状況を考えてみてください。
 新聞を開いて宝くじの当選番号を見てみたら「1等は 123456789 番」と書いてあったとしましょう。つまり(前提1)が真 だということです。そこで机の引き出しから自分が買った宝くじを持ってきて、新聞に書いてある番号と照合するものとします。
 さて、この場面で(命題A)が真 であることは重要ですか? もっともっと重要なことがありますよね。
 それは何かというと、「自分の持っている宝くじの番号が 123456789 番であるか否か」ということです。(命題A)が真であることは当たり前であって、そんなことより(前提2)が真なのか偽なのか が重要なんです。
ですよね。

 自分が買った宝くじの番号を先に見て、それから新聞を見る場合はどうでしょうか。
 自分が買った宝くじに「123456789番」と書いてあれば、(前提2)が真 だということですね。それを確認して、次に新聞で「1等の当選番号」を調べるとしましょう。
 さて、この場面で(命題A)が真なのか偽なのか を気にする人はいないはずです。人が気にするのは(前提1)が真なのか偽なのか ですよね。

 では、(命題A)にはどんな意味があるのでしょうか? もちろん、それには大きな意味があります。それは ・・・(命題A)が真であることを論証することで、(前提)が真であることが示せるからです。
 ウソです。前提の真偽判定に、論理は全く無力 です。
 では、(命題A)は無意味なんでしょうか? もちろん、そんなことはありません。というのは ・・・(命題A)を唱え続ければ、結論が真になるからです。
 ウソです。(命題A) を100回唱えても、1等が当たったりはしません。価値ある成果も情報も 論理は何ももたらしてはくれません

0 件のコメント:

コメントを投稿