2019年4月15日月曜日

「可能性は無限大」なのか?

 「可能性は無限大」と言うが、「何の可能性」が無限大なのか? もしくは「可能性の何」が無限大なのか? それによってその言葉の意味が大きく変わってくる。
 それが「○○になれる可能性が無限大」という意味なら、それは同時に「それ以外のものになれる可能性は無限小」ということになる。
 あるいは、それが「選択肢が無限大」という意味なら、それは同時に「特定のあるものになれる可能性は無限小」ということになる。

 グラフで示そう。横軸が選択肢の数だ。縦軸がそのものになれる確率。すべての可能性を足し合わせると必ず1になる。グラフで言うと、曲線の下の面積は常に1になる。
 (グラフ1)が通常の可能性のあり方だ。山は1つでも2つでもいくつでもよいが、曲線の下の面積が1であることに変わりはない。ここである部分の高さ(確率)を高くすると、当然の結果としてその他の部分の高さが低くなる(グラフ2)。また、横軸方向に広げると、その分全体の高さが低くなる(グラフ3)。そして(グラフ2)や(グラフ3)を極限まで推し進めると、それぞれ(グラフ4)と(グラフ5)になる。
 確率論で考えると、「可能性が無限大」とは(グラフ4)か(グラフ5)かのどちらかの意味だと考えざるを得ないのだが、さて、どちらの意味で使っているのだろうか?


 ここで今日の結論。「可能性が無限大」という言い方は、どちらの意味でとらえても、ろくなもんじゃない。他にましなとらえ方があるかと言うと、それもありそうにない。

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