2020年1月19日日曜日
生命力曲線 と 高齢者医療
おおむね、こんな(↑)感じなんじゃなかろうか。生命力が衰えて、いろんな病気になって、放っておけば安らかに死ねるものを、医療を施すことによって、命を長らえる代わりに、本人は苦しみ、家族は介護に追われ、国家は財政を逼迫させる。
◇ 1000万円を高齢者医療に使うか、子供の学費に使うか
高齢者医療にかかる費用を1000万円としよう。健康保険負担分や介護のための労働を勘案すれば、ゆうにそれくらいにはなるだろう。また、子供を大学に入れて卒業までにかかる費用も同じくらいだとしよう。その両方を支払ってまだまだ余裕がある家庭もあるだろうし、その片方も払えない家庭もあるだろうが、ここでは片方なら払えるが、両方は払えないという経済レベルを想定する(割と平均的な家庭だと思うのだが、どうだろう)。
さて、あなたなら1000万円をどちらの費用に充てるか? 1000万円を年老いた親が4年間生きながらえるために使うか、それとも子供が大学に通う4年分の学費に充てるか。あるいは、あなた自身が病を抱える高齢者だとして、そのお金を自分のために使うことを望むか、それとも孫のために使うことを望むか。
◇ 「生まれ変わり」という物語
生命には「自分を修復する能力」と「新しい生命を生み出す能力」がある。そして、どちらを採用するかは、コストの問題である。「古いものを修復して使い続ける」方が安上がりなうちはそうするが、そうするのは割に合わないと見做せば「古いものを放棄して新しいものに作り変える」。だから、生命には寿命があって、子孫を残すのである。
コストを無視してまで「修復して使い続けよう」とする動機は、生命には無い。でも、古い生命が死ぬ代わりに、子や孫に命が引き継がれる。そういう形で、生命は生き続ける。そしてまた、自分が死んでも、きっと生まれ変わるのだろう。そういう楽しい物語もある。
◇ 65才以上の高齢者に対する医療を禁止する法案
法律でこう決めちゃったらどうだろう。これが無茶だというなら、百歩譲って「65才以上の高齢者に対する医療に100%の税を課す」とか。それでもダメだというなら、千歩譲って「65才以上の高齢者に対する医療を全額自己負担とする」でもよい。最後の案でも、高齢者医療の件数は今よりずっと少なくなるだろう。そしてそうなれば、安らかに死ねる老人が増えて、家族は未来のことに力を注ぐことが出来て、国家財政も安定する。良いことづくめである。
生命力旺盛なら100才でも200才でも生きてくれたら良いと思うが、やがて必ず衰えるはずなので、そうなったらスムーズに引き継ぐことをむしろ積極的に考えた方がいいんじゃなかろうか。
《 過去の記事 》
◇ オレが死んだらライオンのエサにしてくれ
◇ 致死率100%の病
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