2020年8月18日火曜日

論理にはいろいろある

 「論理」あるいは「論理的」という言葉は実は非常にあいまいな言葉であって、現実にはいろんな意味合いで使われます。4つに分けて考えてみましょう。

   ① 記号論理
   ② 数学の論理
   ③ 科学の論理
   ④ 議論の論理

 ①「記号論理」は論理学の分類では「演繹(えんえき)」と呼ばれるもので、たとえば三段論法がこれに含まれます。古代ギリシャのアリストテレスの時代にほぼ完成したもので「古典論理」と呼ばれることもありますが、実は現代社会においてコンピュータの世界で大活躍しています。この論理はまさに「機械的な論理」であって、これは確実に100%正しい。
 ②「数学の論理」はいわば「論理の枠組み」です。そこには人の捉え方や感性やアイデアが実はふんだんに盛り込まれていて、意外にも人間的な面を備えています。ところで、論理の枠組みですから、その枠組みの中において「正しい」のは必然です。でも枠組みが変われば、覆る可能性はあります。
 ③「科学の論理」は論理学の分類でいえば 「帰納(きのう)」に当たります。それは「反例が見つかっていないから、また他のことと矛盾しないから、とりあえず正しいものと見なそう」ということであって、いわば「経験的な論理」と言えるでしょう。そして、ということは、科学において100%正しいということは原理的にあり得ないことなのです。
 ④「議論の論理」に必要なのは「説得力」です。そのために「根拠・理由」を挙げる。そうして他人の理解・支持・共感を得ることが、この論理の目的です。また、自分でいろんな可能性を検討する際にも、納得する際にも、この論理は使われます。まさに「普段使いの論理」です。ところで、正しさを示すことが議論の目的ではありませんよ。そもそも絶対に正しいことなら、最初から議論になりませんから。

 同じ「論理」という言葉を使っても、意味合いはこんなにも違うのです。「論理的な考え方」と言ったり、「間違った論理」と言ったりしますが、その「論理」の意味が ①なのか ②なのか ③なのか ④なのかによって、文脈がまるで違ってきます。
 そもそも「正しいことを言う」のが論理ではありません。中でも「科学」は「間違える可能性がある」ことが「前提条件」です。また「正しいとは言えない」から「議論」になるんですね。そこを分かっていないと、コロナ報道に振り回されちゃいますよ。科学に基づいた議論であれば、見解が一致しない方がむしろ自然なのです。
 では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。素人なりに見聞きして、考えて、判断して、発言して、行動すれば良いのだと思います。それでいて専門家と精度はさほど変わらないでしょうから、たぶん。

2 件のコメント:

  1.  最後に、ここで【問題】です。私の上の文章を「とっても論理的!」と褒めてくれた人がいます。彼の言葉が正しいとして、さて、彼が言う「論理」とは、上の文章の①〜④のどの論理に当たるでしょうか?

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    1.  世の中のほとんどの言論は④を基盤としていますが、それを①の立場でみると「100 %正しい」とは言えない、すなわち「偽」ということになってしまいます。また「PはPである」という文は①の文脈では正しいですが、④の文脈では無意味です。えぇっと《答え》は④です。野暮でしたね。

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