(慶應大学・商学部 2021年入試・小論文より)
インセンティブとは、ある主体から特定の行動を引き出すためのエサ(あるいは罰則)や、そのエサが与えられる仕組みを指す。個人がある行動をとるためには何らかの理解するためには、各個人が直面するインセンティブの構造を考えなければならない。
インセンティブが人の行動を決めているということは、裏を返せばインセンティブの構造を変えることで、( ア )ということを示唆している。また、人々の行動が好ましくないものであるならば、それはその人たちに与えられているインセンティブが[ ⓪ ]であることに他ならない。2001年4月から家電リサイクル法が施行され、大型家電製品のリサイクルが義務づけられた。その結果、これらの家電製品を家庭で廃棄する場合でもリサイクルの費用を負担する必要が生じた。その費用を製品の便益を享受した者に負担させるのは理にかなっているのだが、違法投棄のインセンティブを考えると廃棄時にその費用を徴収するのには問題がある。なぜなら、正規に捨てる場合に費用がかかるために、知らぬふりをきめこんで近所のごみ捨て場に捨てたり、夜中に田んぼに投げ込んだりするインセンティブが生じるからだ。毎晩不特定多数の人の行動を監視するのは大変だから、違法投棄をしてもそれが発覚して罰則を受ける可能性は低い。そのため、違法投棄のコストは正式にリサイクル費用を負担するよりも低くなる可能性が高い。問題解決のためには、たとえば発見された違反者には高額の[ ① ]を科すなどして違法投棄のコストを[ ② ]か、あるいは処理費用は廃棄のときではなく新製品の購入時に徴収してしまうことで、廃棄の際にリサイクルするインセンティブを高めなければならない。
温暖化ガス(二酸化炭素)の削減は、わが国が現在直面する重要な問題の一つである。石油やガスなどの化石燃料を燃やすことで温暖化ガスが生じるわけであるから、わが国の家庭と企業において石油やガス、あるいはそれらを用いて作られる電力の消費を抑えれば、温暖化ガスの排出量は削減される。環境省は、電気や石油を節約しよう、無駄な電気は消しましょう、などのキャンペーンを始めたが、これではたいした効果は期待できない。そのような個人の[ ③ ]や地球愛に訴えるインセンティブがどこまで機能するか、はっきりしないからだ。本気で削減するのならば、化石燃料を減らす金銭的なインセンティブを与えるべきである。石油の消費などに課税する「環境税」はその一例である。
いくら特定の行動をさせるインセンティブを与えたところで、相手にそれがわからなければ意味がない。したがって、ある行動をとったらどのような利益が与えられるのかを、前もってお互いに約束しあうことが[ ④ ]に重要となる。その約束事のことをインセンティブ契約という。ビジネスの世界で言うと、最近、アメリカ型の成果主義の給与体系を導入するのが流行になっているが、これは仕事の上での成果を出した人により高い給与を支払うことで、成果を出す努力をするインセンティブを与えようとするインセンティブ契約である。ここでのポイントは、インセンティブの構造を変えることだけではなく、成果を出すインセンティブを相手にはっきり[ ⑤ ]させる点にある。一般の労働者の仕事上の成果は昇進のような形で報われるのだから、成果を出すインセンティブは以前からあったはずだ。しかし、漠然とした将来の昇進の可能性から生じるインセンティブの強度ははっきりしない。
日本経済が脆弱であった時代には、自分の勤める会社の成長存続自体が重大な成果であり報酬であったし、またこの時代には、多くの大企業で管理職のポストに余裕があり、現在の努力が将来の昇進昇給につながるという労働者の期待があった。すなわち、労働者は成果に対する報酬が将来に支払われると期待いていたし、実際そうなることが多かったために、労働者はそういった成果報酬のための努力を惜しまなかった。インセンティブがないにもかかわらず[ ⑥ ]義務感から努力していたわけではない。
つまり、成果主義というシステム自体は、労働者に勤労意欲を与えるインセンティブの体系として以前からわが国に存在していたのであって、アメリカ型の経営方針に追従して急に始まったことではないのである。問題は、安定成長期に入った日本の企業の多くで、成果に対して昇進という形で実際に報われる可能性が減少してきている点にある。何よりも労働者はそのように感じているはずだ。勤労の成果に対する報酬が見えにくくなってきたことで、かつては現実的であった将来の昇進の可能性も、現在では漠然としてしまってインセンティブの強度が[ ⑦ ]している。成果を何で測るかということが大きな問題点になることは確かであるが、それにしても何らかの形の成果主義を持ち込むことなしに、勤労意欲を引き出すことは難しい。したがって、成果と報酬の関係をはっきり規定することで、インセンティブの強度をわかりやすいものにしようとする成果主義型の給与体系の理念は、試行錯誤を続けながらも効果的なインセンティブ契約として今後も広まっていくであろう。
ご褒美や罰は現在すぐに与えなくても、将来に与えることを約束したり、あるいはある一定の確率で与えることで、相手へのインセンティブになりうる。したがって、[ ⑧ ]な関係を前提とすれば、現在の行動を条件にして将来に罰を与えるという約束、いわば条件付罰則戦略も、相手に特定の行動を促すインセンティブになる。使いようによっては、インセンティブのコストを抑える有用な手段である。約束に反することがあれば罰を与えるという策は、実際にはいつまでたっても罰則を与えることなしにインセンティブを与えることができる。大多数の法律はその効果を利用している。法律で禁じられているからやらないということは、言い換えれば法律が条件付罰則戦略になっているということだ。
本来相反する利害関係にある人々であるはずなのに、なぜか協調関係が生まれてしまっている現象は、この種の条件付罰則戦略が応用されていると理解できる場合がある。工事の受注に関する談合の事例は数限りないが、素朴な疑問は本来競争関係にあるはずの建設会社の間で、なぜそのような協調ができるのかという点である。この場合の条件付罰則戦略とは、もし談合破りをして誰かが安値受注をすれば、そのあとは約束をご破産にして全社で安値受注に走ろうというものだ。このような条件付罰則戦略を相手がとったとき、談合破りは将来の熾烈な価格競争で利益を[ ⑨ ]することを意味するから、約束通り順送りに受注したほうが得になるので、談合を破らないのが最善である。そうすると、罰則であるはずの熾烈な価格競争はいつまでたっても起こらず、順送りの高値受注が維持できるのだ。
人の行動をコントロールするためにはインセンティブを与えることが必要であることはすでに述べたが、そのインセンティブの強さの程度が問題である。インセンティブが強ければ人はそれだけその行動に励むであろう。しかし、インセンティブを与えるにはコストがかかるし、また行動を誘うのにも適当な程度というものがある。回収した空き缶1つに対し1000円の報酬金を払うことにすれば、わが国の道という道から立ち所に空き缶は消え去ることであろう。しかしながら、そのために支払わなければならない費用は莫大となるのもこれまた確実である。強いインセンティブを与えれば与えればよいというものではない。何事にも[ ⑩ ]というものがある。
単純な物の売買では、物に値段がつくことでインセンティブの調整が自動的に行われている。たとえば、製作するのに2000円のコストがかかる品物に対して3000円までなら払う用意がある人がいたとする。この場合、2000円以上で製品が売れるのでなければ、製作するインセンティブが生まれない。一方、買い手のほうには3000円以下の価格ならば買うインセンティブが生じる。したがって、この製品の値段がたとえば( A )円となれば、生産者は製作をして買い手はそれを買い入れるから、めでたく品物はこの世に生まれてくるわけだ。一方、買い手が払いたい金額が1000円までであれば、生産者に作るインセンティブを与えかつ買い手にも買うインセンティブを与えるような価格はないから、( イ )。このように参加する生産者と買い手の間でのみ費用と便益のやり取りが行われる単純な取引のシナリオでは、価格が適度なインセンティブをに与えると期待できる。
(梶井厚志『戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する』中公新書、2002年、第4章を改変して作成した。)
問1.本文中の空欄に当てはまる最も適切な語を次の選択肢から選びなさい。なお、同じ選択肢は2回以上使いません。
上げる 圧迫 異質 気分 強化 強制的
許容 経験 経済的 現実 健全 最少量
搾取 下げる 自動的 社交的 習慣 衝動
戦略的 妥当 短期的 長期的 追徴課税 適量
同化 道徳的 なくす 認識 罰金 否定的
不当 分散化 報酬 理念的 劣化 連鎖的
問2.本文中の空欄( A )に当てはまる最も適切な数字を次の選択肢から選びなさい。
500 1500 2500 3500
問3.本文中の空欄( ア )に当てはまる最も適切な語句を、15字以内で記入しなさい。
問4.本文中の空欄( イ )に当てはまる最も適切な語句を、10字以内で記入しなさい。
問1.⓪ 不当 ① 罰金 ② 上げる ③ 気分
④ 現実 ⑤ 認識 ⑥ ⑦ 劣化
⑧ 長期的 ⑨ 下げる ⑩ 適量
問2.2500
問3.人の行動を変えられる(可能性がある)
問4.(この世に)存在しない
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