建物が火事で焼失するリスクにかけるのが火災保険。
交通事故の賠償責任を負うリスクにかけるのが自動車保険。
働き手が死亡して家族が貧窮するリスクにかけるのが生命保険。
いずれも少額の保険料を支払うことで、リスクが顕在化したときに多額の保険金を受け取るという契約だ。保険をかける人がいる一方で、それを引き受ける人がいる。だから、この契約が成り立つ。通常は前者が個人や企業で、後者が保険会社だ。
ところで、万が一のときに大きな損害を被るものといえば、原発はその最たるものと言えよう。さて、原発は事故に備えて保険をかけているのだろうか。その保険の引き受け手はいるのだろうか。
保険会社がこの保険を引き受けるかというと、そんなことはありえない。保険会社の支払い能力を超える被害額が想定されるからだ。正確に言うと「原子力損害賠償法」に基づいて1200憶円を上限に設定した保険には入っているのだが、実際の損害額はそれではとても足りないだろうことを考えると、実質的には無保険の状態にあると言っていい。
それでも現に原発が稼働しているのはなぜなのか。保険会社も引き受けないようなリスクを誰がどんな形で引き受けているのか。誰かがそのリスクを引き受けているはずなのだ。そうでなければ、原発が存在するはずがない。そう考えたときに思い至るのが、原発を誘致する自治体である。
考えてみると、原発誘致自治体は保険会社に似ている。自治体は電力会社から仕事や税金を、国からは交付金を受け取っている。これが保険料にあたる。事故が起きた場合の自治体の損害はそれまでに得た利益よりもはるかに大きい。これが保険金にあたる。電力会社と国が平時に比較的少額のお金を払い、万が一のときには自治体が莫大な損害を引き受ける。この構図は保険契約にそっくりなのである。
あえて言おう。「原発を受け入れたということは、事故を覚悟していたはずだから、今回の件はあきらめろ、がまんしろ」という言い方はあながち的外れとは言えない。
「浪江町・大熊町の人たちはこれまでいい思いをしてきたんだから、東電や国に文句を言える立場じゃない」という言い方も必ずしも暴論とは言えない。
自治体が保険に入るどころか保険を引き受けたと考えれば、原発を誘致した自治体が他の誰かに賠償を求めるのは筋違いと言えなくもない。
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