2019年3月20日水曜日

「神の意思」の無矛盾性 と 科学の有矛盾性

 「すべては神の意思による」という考えは、現実のどんな事実とも矛盾しない。
 ところで「矛盾しない」ということは、その考えが「正しい」ことを意味するものではない。それは「正しいか否か」とは無関係である。何が起ころうとも「それは神の意思によるものだ」と言い続ければ一向に矛盾を生じないのである。
 「すべては夢幻(ゆめまぼろし)である」という考えも同様である。その考えによればすべては1つの脳内のイメージで、他人の存在もまた空想の産物である。そしてその脳が活動を止めたとき、世界は消滅する。その考えもまた、現実と見事に整合する。何事とも矛盾しない完全無欠な論である。

 比較のために科学について考えてみると、矛盾することが科学の本質である。たとえば、ニュートンの運動方程式。かつてはこれが正しいものと考えられていた。ところがこの方程式にあてはまらないものが見つかった。光である。「光の速さは一定である」という観測結果がニュートン方程式を否定したのである。
 光速度一定則をもとに次に登場した理論が、アインシュタインの相対性理論である。いろんな観測結果が相対性理論と符合することから、相対性理論は正しいものと現在では考えられている。
 では相対性理論が絶対に正しいかと言うと、そうは言えない。現時点で矛盾が生じていないだけであって、将来に矛盾が発見される可能性はどこまでいっても残る。
 ニュートン方程式を否定した光速度一定則も将来に否定される可能性がある。やけにゆっくり進む光、光を追い越して進む光などが将来発見される可能性はゼロではない。そして、だからこそ科学なのだ。

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