2019年4月14日日曜日

動物の脳が人間を超えるときこそがシンギュラリティ

 人工知能が人間を超えるのは当たり前。コンピュータの強みは速さと量と正確さだから、その点で人間がコンピュータに勝負を挑んでも仕方がない。例えば、計算の速さと正確さにおいては、人間は何十年も前に電卓にすら負けている。バイクと駆けっこしても勝ち目がないように、ショベルカーと力比べしても勝ち目がないように、機械が人間を超えるというなら、すでに多くの点で人間は機械に負けている。
 囲碁や将棋で人間が人工知能に負けるのも当然だろう。先の手を読むスピード、間違えずに手を打つ正確さ、過去の対戦データを記憶する容量など、まったくもってコンピュータの得意とするところである。
 そう考えると「人工知能が人間を超える」のは驚くことではないし、脅威でもない。人間は人工知能やコンピュータや機械と勝負しようなどと思わずに、うまく使えばいいのである。そもそも人工知能と言ったところで、所詮は人がコードすなわち文字列を入力して動くものだから、与えた命令を超えて勝手に動くことはない。

 むしろ私が脅威に感じるのは「動物の脳が人間を超える」ことだ。というのは、人工知能が本当に力を発揮するのは「脳とつないだとき」だからだ。けれども現実には、人間の脳と人工知能を直接つなごうとしても、おそらくストップがかかる。倫理的・道義的・政治的にすぐには許されそうにないからだ。リスクもある。
 だから、きっと動物実験が先行する。ボケ防止・脳の治療・心のケアなど、人の役に立てる目的のためだ。実験に供されるのはマウスだったり、あるいは人間に近いということでチンパンジーが選ばれることもあるだろう。そしてそうなると、脳科学の発展、遺伝子工学の発展とあいまって、実験に供された動物の脳が劇的に変化する。それくらいの技術レベルに達するのはそう遠い未来ではないだろう。
 そしてこのとき、人間の手に負えない状況になりうるのである。人工知能が機械であるうちは心配は要らない。

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