スマホに向かって「買い物に行きたいわ」と言えば、どこからともなく無人の車がやってくる。買い物が終わって「終わったわよ」と言えば、先ほどとは違う車がやってくる。
朝、スマホに向かって「やばい、学校に遅刻しちゃう」と言えばやっぱり車がやってきて、乗り込んだ車の中で「急いで!」と言えば、大抵はなんとか間に合わせてくれる。
道を走っている車の多くが自動運転になれば、人が運転する車はだいぶ自由になる。多少手荒な運転をしても、他の車が事故を避けてくれるので、スピードを出しても大丈夫、信号無視もへっちゃら。歩行者にだけは注意しないわけにはいかないが、他の車のことはほとんど見ていなくても問題なし。
そのうち「人が公道で車を運転するのは禁止」という法律ができるだろう。危険だからだ。自動で安全に運転できるのに、危険を冒して人が運転するのは社会的に認められないという道理だ。そうでもしなければ、交通事故は無くならない。
そしてそうなると、人が運転できるのはサーキット場だけということになる。この時点でサーキット場ビジネスが大流行り。車を運転したい人たちが殺到する。
ところがそうなると、公道での交通事故が減る代わりに、サーキット場での事故が増えることになる。こうして今度は「サーキット場での運転には事故回避のための安全装置をつける」ことが義務化される。そしてこうなると、全く面白くない。サーキット場でできることは、アクセルを踏むことだけになるからだ。こうして、一時期栄えたサーキット場があっという間に寂れる。
「昔はね、家族でドライブに行ったものよ」。じいさん・ばあさんが孫に語りかける。「どうやって?」。「アクセル踏んで、ハンドル回して、ブレーキ踏んで…」。「えっ? アクセルってなに? ハンドルってなに? ブレーキ???」。こんな会話がなされる未来はそう遠くない。
その頃には博物館に「人が運転していた時代の車」なるものが展示されているかもしれない。「うわぁ、これに乗ってみたい!」。子供がそう言っても、人が運転できる場所はどこにもない。
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