◇ 給料 ◇ 成長 ◇ 貢献
働く目的は、給料だけじゃない。働くことを通じて自分が成長すること、そして社会に貢献すること、以上3つである。
働く目的を「給料だけ」と考えると、大抵の場合、割に合わない。その考えは「働くこと=苦役」という考えに基づく。そうすると、そこから「働かない」という選択肢が生まれる。
働く目的の2つ目と3つ目については、初めは目に見えない。仕事をすることで「何が身につくのか?」、「どのように社会のためになるか?」は、仕事を始めた当初は見えない。やっていくうちに、いつの間にか自分が成長していることに気づいたり、組織で「必要な人材」と認められたり、「社会のため」になっていたりするのである。
その3つを合算すると、働くことには大きな意義がある。大事なことは、給料は目に見えるが、他の2つは初めは目に見えないということ。成長と貢献は、一定期間働いた後に、ようやく形になるのである。
☆ 勉強する意義
◇「物の見え方」が変わる ◇「学び方」が分かる ◇ 社会に貢献できるだけの力がつく
勉強したからといって給料がもらえるわけではないが、それに類する何らかの報酬・見返りのようなものを期待すると、またおかしなことになる。「労力に見合う見返りがない」と思えば、そこから「勉強しない」という選択肢が生まれる。
さて「何のために勉強するのか、勉強して何が変わるのか、勉強するとどうなるのか」というと、それは最初は分からないものなのだ。それは、勉強を進めるうちに少しずつ、あるいはその内容が身についた後でようやく分かることなのだ。
僕らは赤ん坊のころ言葉を知らなかった。何年かかけて勉強して、今では言葉が使えるようになったが、その恩恵はいかほどのものだろう。僕らは言葉を学ぶことで何が得られるか知らないまま学び始めた。そして大きなものを得た。それは、言葉を学んだ後で分かることである。勉強とは、そういうものだ。
☆ 交換の論理
経済活動の最も基本的なものが「交換」すなわち「売買」である。それは等価交換と言われることもあるが、現実には交換することによって「買う人も売る人も得をする」。100円の物を買う人はそれに100円以上の価値を認めているから買うのであり、100円で物を売る人はそれで十分利益が出るから売るのである。交換が成立するのは、その場合に限られる。
けれども、この論理を「仕事」や「勉強」にあてはめると、すぐに破綻する。「働く人」が得る給料は、彼がもたらした利益の一部だからである。利益を丸々労働者に分配したら、企業は成り立たない。つまり、仕事と給料の交換は、労働者にとって損な交換であるのが常なのだ。ましてや自分が差し出さなければならないものが自分にとって大事なものだと思えば思うほど、その交換が不利なものだということになる。こうして「働かない」という選択肢が生まれるのである。
「勉強する人」にとっても同じである。それは彼にとって、危険な交換である。なぜなら、彼が支払う労力は目に見えるが、そうして得られる物は目に見えないからである。もちろん、その価値は知りようがない。そして「価値の分からないものに大金を注ぎ込むことはできない」と考える。「交換の論理」に立てば、そういうことになる。そして、値切り交渉が始まる。「支払う額をなるべく少なくしよう」とする、つまり「意図して、手を抜く」のである。あるいは「頑張って勉強しても、割に合わない」と思えば、「勉強しない」という選択をすることになる。
人がなぜ働くかというと、働くことそのものに価値があるからだ。「お金のため」と考えたら、働くことは空しいものになる。むしろ「自分の成長のため、社会に貢献するため」と考えたい。
人はなぜ勉強するかというと、「それが何のためになるか分からないから」だ。「後できっと大きな力になる」、そう思う以外に勉強を進める仕組みはない。成果が見えないからこそ、ワクワクしながらやればいいのである。
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