2019年4月3日水曜日

宮沢賢治の童話にみる、ニッポンの神様

 日本人にとっては、貧乏神もたたり神も神様である。神様がみんな高貴だとは限らない。人間以上に人間っぽい神様もいたりする。童話「土神ときつね」にはそんな神様が登場する。
 土神は沼地のようなところに住んでいる神様である。おそらくは汚らしい恰好をして、あまり今風な感じはしない。祠を訪れる人も少なく、祠は荒れている様子である。土神はときに人をそこに誘い込んで、意地悪をするようだ。
 それと対照的なのが、きつねである。きつねはおしゃれで物知りである。多少見栄っ張りなところとお調子者のところはあるが、今風の好青年だといえよう。
 一本木の野原の、北のはずれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女の樺の木がありました。・・・(略)・・・
 この木に二人の友達がありました。一人は丁度五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地の中に住んでいる土神で一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろの狐だったのです。
土神はきつねにやきもちを焼いているようです。そしてある日、あろうことか、土神はきつねを殺してしまうのです。
秋の日のことです。土神は上機嫌で樺の木のところに来ました。
 そこにきつねがやってきました。樺の木と土神ときつねは少し話をして、きつねは戻っていきました。
 土神はしばらくの間ただぼんやりと狐を見送って立っていましたがふと狐の赤革の靴のキラッと草に光るのにびっくりして我に返ったと思いましたら俄かに頭がぐらっとしました。・・・(略)・・・
 土神はいきなり狐を地べたに投げつけてぐちゃぐちゃ四五へん踏みつけました。
 それからいきなり狐の穴の中にとび込んで行きました。中はがらんとして暗くただ赤土が奇麗に堅められているばかりでした。土神は大きく口をまげてあけながら少し変な気がして外へ出て来ました。
 それからぐったり横になっている狐の屍骸のレーンコートのかくしの中に手を入れて見ました。そのかくしの中には茶いろなかもがやの穂が二本はいって居ました。土神はさっきからあいていた口をそのまままるで途方もない声で泣き出しました。
 その泪は雨のように狐に降り狐はいよいよ首をぐんにゃりとしてうすら笑ったようになって死んで居たのです。
ここでお話は終わります。今時の倫理観からすると、土神のやったことは無茶苦茶といえるだろう。三流ドラマのストーリーあるいは三面記事的な事件ととらえれば、どこにでも転がってる話といえなくもない。
 でも、意外と暗くないのである。悪い気はしないのである。いや、なんか引っかかるといったらいいだろうか。なぜなんだろう。


0 件のコメント:

コメントを投稿