将来何をやりたいか、何になりたいか。どんな仕事をしたいか、どんな職業に就きたいか。それを考えろと言う。
けれども、どうだろうか。私はふと思ったのだが「何をやりたいか、何になりたいか」を考えるより、むしろ「何をやりたくないか、何になりたくないか」を考えた方が良いんじゃないだろうか。
やりたいこと、なりたいものを考えると、削ぎ落とすものが多すぎないか? 可能性を減らしすぎやしないか?
そもそも僕らはいろんな職業を知っているわけではない。むしろ知らない職業の方が多いだろう。また、今は世の中に無くて、これから現れる職業もあるはずだ。
「やりたいこと、なりたいもの」と言うと、それらがすっぽり抜け落ちる。選択肢が少なすぎないか? 可能性をそこまで狭めてしまって、それで良いのか?
「やりたくないこと、なりたくないもの」を考える場合は、そこまで選択肢を狭めることにはならない。今の自分が知らない世界、これから先の時代に現れるようなものは選択肢に残る。
「やりたい、なりたい」というと一見前向きに見えるが、いや、意外とそうでもないんじゃないだろうか。たとえば「金持ちになりたい」と言ったところで、そこから何らかの指針が出てくるわけではない。一方、たとえば「やりたくないこと・・・仕事」と言えば、そこから「じゃぁどうするか?」と考え始めるだろう。
だから「これだけは絶対やりたくない。そんなものになるのは絶対イヤだ」そういうものを考えることにしようじゃないか。
あなたが将来やりたくないことは何ですか? なりたくないのはどんな職業ですか? したくない生き方とはどんなものですか?
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