(2012年冬)
上の記事「なぜ高校で倫理の授業を置きにくいのか?」の内容をまとめると・・・
- 倫理をやろうとすると、授業でも受験でも政治経済がもれなくついてくる
(└→ 理系にとってやりにくい) - 倫理と政治経済を両方やっても、受験できる大学の選択肢が限られる
(└→ 文系にとってやりにくい)
- 現代社会を形だけやる
(└→ これは受験科目の対象外) - 世界史・日本史・地理のうち2つをがっちりやる
(└→ このうちの1つか2つで受験する)
ここで補足を1つ。
センター試験で倫理と政治経済をあわせて1科目として受験しなければならなくなったことを上の記事に書いたが、そのような仕組みになったのは昨年度からで、一昨年度までは倫理だけでも、政治経済だけでもよかった。
そして、その影響をもろに受けたのは、倫理よりもむしろ政治経済の方なのである。というのは、倫理をやってない高校はもともと多くて、政治経済をやってる高校は多かったのだが、倫理と政治経済を抱き合わせで受けなければならなくなって、政治経済を敬遠する高校・受験生が増えたのだ。こうして倫理と政治経済が共倒れするような状況になっている。
さて、ここから今日の本題。それでもなお、ウチの学校では倫理をやりたいとボクは思うのである。なぜか?
- ウチの学校の生徒が優秀だからである。
└→ 現代社会を中途半端にやるよりも、倫理と政治経済をやった方がいいし、やれるだけの力がある。 - 倫理をやらないと、政治経済もやらないことになってしまうからである。
└→ ボクは、世界史・日本史・地理よりも、倫理・政治経済の方が将来のためになると思う。 - 倫理の考え方に慣れることで、国語と英語の得点力アップにつながるからである。
└→ 実際そういう話題が国語や英語の試験問題にしばしば出されている。
そうは言っても、とここでまた振り出しに戻ってしまうのだが、それだと社会科の科目数・時間数が多すぎる。「倫理+政治経済+世界史+(日本史または地理)」、文系ならまだしも、理系にこの量をやらせるのは酷だ。要するに、文科省の学習指導要領が社会科を重視し過ぎているのだ。他の教科に比べて突出している。
こうして結論は出ないのだが、問題は(もともとやっていない)「倫理をどうするか?」だけではなくて、(これまでやってきた)「政治経済をどうするか?」も問題になっているわけで、受験生にとっては待った無しの問題なのだから、教員の側であれやこれやだらだらと議論してないで、さっさと決着つけなければならないのだ。
ウチの学校に限らず、おそらく日本全国あちこちの高校で混乱してると思うのだが。
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