○ 基礎学力この3つに尽きます。
○ 経験
○ まとまった文章を書けること
1つ目の「基礎学力」はこれまでの受験で求められていたものと基本的には同じです。重箱の隅をつつくような細かい知識を問う問題、やけに複雑な計算をしなければ値が出てこない問題などは減るでしょうけれども、中高生の勉強法が大きく変わるわけではありません。
2つ目の「経験」とは自分の成長の糧となるような経験・体験のことです。それを通して知的好奇心が育つような経験・体験のことです。そして、それはなかなか成果が目に見えないものでもあります。さらに家庭環境に左右される部分でもあります。子供が特に意識しなくても自然といろんな経験を積める家庭もあれば、そうでない家庭もあるでしょう。学校で面倒を見てくれるわけでもありませんから、生徒個人ならびに各家庭で意識しておくべき点は、まさにそこです。
3つ目の「まとまった文章を書けること」には学校でのやり方が大きく影響します。効果的なやり方、そうでないやり方、どれくらいの時間をかけるかなど、学校ごとの差が出てくるところです。ところで、何を書くかというと、知識ではありません。感想でもありません。書くべきものは自分の「見方」です。それをまず自分が意識化して言葉にして、そして他人に伝わるように書く、それが大学受験での書き方です。素材が自分の経験であれ自分の関心事であれ志望動機であれ「自分の世界」のことを書くのですから、それを自分のことを何も知らない他人に伝えるには、自分の「とらえ方・視点・見方」を書くしか打つ手はないのです。
これまで大学受験で求められていたものは学力だけでした。それに比べると、なかなか大きな変化ですね。大変だなぁと頭を抱えますか? それとも、楽しそうでワクワクしますか?
2つ目の「経験」と3つ目の「まとまった文章を書けること」をつないでもう少し考えます。単に経験というととても幅が広いものですが、大学入学のためにはそれを言葉で表現しなければならないことを考えると、ぜひ経験しておきたいのは読書です。
何を読むか、何のために読むかを説明しましょう。まず何のために読むかというと、知的好奇心を育むため、ある程度の知識を得るためとも言えますが、もっと大事なことは「ものの見方のサンプルを知る」ためです。普通とはちょっと異なる別の見方をすることで違う景色が見えたり、新しい見方に驚いたり、変な見方を楽しんだり、そんな経験を積みたいのです。大学入試で「自分の見方」を示すと言いましたが、それが他人に理解されないもの、独りよがりなものであっては何にもなりません。ではどんな見方がおよそみんなに評価されるのか、それを知っておきたいのです。
では、何を読むか。その目的を考えると、文学は対象から外れます。もちろん広い意味での経験ということでは文学でも良いのですが、「ものの見方のサンプルを知る」という目的に適うのはそれ以外の本です。いわゆる実用書・解説書・ビジネス書などの一般書です。科学系のもの、社会学系のもの、もしくはコラムのような読み物でも良いのです。要するに教養を高めるつもりで、文学以外のいろんな分野の本を読むのが一番です。
これまでの日本の学校では「読書といえば小説、作文といえば感想文」、そんな読書指導・作文指導をしてきました。けれどもそれでは、これからの大学受験にはまるで対応できません。これから読むべきは文学以外の本です。読書を通して得るべきものは、情緒や感動ではなくて、ものの見方や考え方です。
本を読む習慣ができれば、自然と「考える枠組み」が身につきます。その経験が大事だと私は思うのです。これからの大学受験でも、仕事を始めてからも、その経験が生きます。中学生・高校生の頃にいろいろな経験を積む中で、読書経験もその1つにカウントしてほしいと私は思うのです。
これまでの受験では学力をつけるだけでよかったのです。それに比べてこれからは、やるべきことがたっぷり増えます。高校3年生になってからではとても間に合いませんね。
余談ですが、グローバル時代と言われるようになって、日本の高校生の中に外国の大学に進学したいと考える人も出てきました。でも、現実にはなかなか受からないんですね。高校2年生か3年生になって、外国の大学を受けようと思っても間に合わないのです。語学の問題だけではありません。それよりも大学に対して訴えるべき「経験」が少なくて、またそれを表現する「文章」が書けないのです。英語で書ける書けないという問題以前に、書くべき中身を持ち合わせていないのです。東大に余裕で入るような学力のある高校生でも、こうして結局はスタートラインに立てないのです。
これからの大学入試でも「学力」は問われます。けれども比重はこれまでの3分の1です。そうなれば、高校生の受験対策は様変わりしますね。
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