2020年2月5日水曜日

過渡期の今できること

(2016年2月)

 このたびの大学入試改革を「教育の2020年問題」と呼ぶ向きもあります。2020年とはセンター試験が変わる年です。現中学1年生が大学受験する年です。でもそのセンター試験ですら、2016年2月時点で具体的なことはまだ何も決まっていません。審議会で検討したり答申を出したりしている段階です。マークシート方式だけでなく、記述式も取り入れるだとか、英会話のテストも実施するだとか、テスト中にタブレットを配布するだとか、噂を含めていろんな情報が飛び交っていますが、実施する時期、受験できる回数、出題される内容も含めて決まったものは何一つありません。
 数十万人規模が受けるセンター試験ですらこうなのですが、個別大学の入試制度についてはおそらく実施する1年ほど前に発表されることになるでしょう。これまでの例を見れば、およそそんなタイミングになりそうです。個別の大学は2020年を待たずに大学ごとに少しずつ動き出しています。2016年度入試から東京大学と京都大学で推薦入試が始まったのがその一例ですが、この場合もおよそ1年前に発表されました。
 さて、こんな状況でこれからの受験生はどのように準備・対策すればいいのでしょうか。私は思うのです。

発表を待ったらダメ ですよ。

なぜかというと、発表されてからでは、どうせ間に合わないからです。具体的なものが決まっていなくても、大筋の方向性はすでに決まっているからです。そしてその変化の方向性がほとんどの人にとって良いものであると私は思うからです。
 変化の方向性は「多様性」です。入試制度が多様化して、その1つ1つで受験生の多様な経験と能力が評価され、大学では多様な人材を確保しようと選抜するようになるでしょう。当面、従来型の一斉一発試験も残るでしょうけれど、これもまた多様性の1つです。
 ところで考えてみると、そもそも生徒の志望が決まるのは、受験の1年前くらいなのが現実です。そんなに早くから受験する大学・学部が決まるものではありません。成長に伴って志望が変わるのですから、当然です。そう考えると、実施する何年も前に大学受験の具体的な制度を発表しても実はあまり意味ないんですね。
 それを高校の先生の立場から見ると、生徒たちの受験先はすぐには決まらず、最終的には生徒たちの受験パターンが多様になるわけですから、みんなにとって有効なことをやろうとすれば、結局は多様性に対応しなければならないわけです。しかも生徒たちはいくつかの大学を併願するわけですから、なおさらです。ですから高校の先生にとっても、個々の大学の受験パターンがどうなろうと、いつ発表されようと、実はあまり関係ないのです。
 だからどう考えても、制度発表を待つのは、損なのです。大学入試改革のことが今後ますますニュースで報道されたり受験情報誌に載ったりするでしょうけれど、そんな情報を追いかけるのは無駄なのです。
 だからといって、具体的な形が発表されるまでこれまでのやり方を続けるというのは、愚かです。流れはすでに決まっているからです。では実際のところどうすればいいかというと、

(学校は)生徒たちが大学で、もしくは社会で活躍できるような力を身につけさせ、
(親は)子供の良い面を伸ばしつつ、バランス良くいろんな力が育つように見守り、
(中高生は)経験を通して、大学生になるのにふさわしい学力と意欲を身につける

そのように動けば良いのだと私は思います。当たり前といえば当たり前のことを、悠然と構えてやっていけばいいのです。
 念のため言いますが、私は「勉強しなくてよい」というつもりは全くありません。受験で学力が問われるのはこれからも変わりませんし、むしろ私は「大人になってからも勉強しよう」と言いたいのです。ただ、今後は

(主に学校が)大量の課題を与え、学力試験で1点でも多く取らせるような指導をし、
(主に親が)競争をあおり、脱落することの恐怖心をあおって勉強させ、
(中高生が)勉強以外のことを控え、興味・関心を育てることをおろそかにする

そんなことはもう終わりにしようじゃありませんか。そのやり方で受けられる大学も当面は残るでしょうけれど、枠は減っていきます、確実に。

 私は現職の中学・高校の教員ですから、その立場でもう少し語りましょう。これまで高校の教員は、極端に言ってしまえば、大学入試の下請けをしていたようなものです。これまでの大学入試では学力だけが問われてきましたから、高校生を大学に受からせるためには、生徒に学力をつけさせれば良かったのです。それがすべてとは言わないまでも、それが高校生と親の望むところでもありましたから、私たちは真っ先にその要請に応えてきたわけです。結果としてそれは「大学入試の下請け」だったと言っても言い過ぎではないように思いますが、いかがでしょうか。
 このたびの大学入試改革でそこから脱することができそうだと私はワクワクしています。生徒たちを「社会で活躍できる人に育てる」という教育の本来の目的に立ち返ることができそうだと私は期待しています。そして結局は、それがそのまま大学受験の結果につながるに違いないのです。
 下請けでなくなるということは、対等になるということです。対等になるということは、場合によってはリードするということです。「○○高校の生徒さんなら、ぜひウチの大学へ!」そう言わせるのもあり得ない話ではないのです。その心意気でいってこそ、私たちの職種は良い仕事ができるんじゃないでしょうか。

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