2019年3月19日火曜日

論理には4種類ある

 「論理」あるいは「論理的」という言葉は実は非常にあいまいな言葉であって、現実にはいろんな意味合いで使われる。たとえば「数学の論理」は万人が正しいと認めるものだが、「論理的な説明」というときの論理は万人が正しいと認めるとは限らない。数学においては 99 %正しくても例外が1つでもあれば「偽」と判定されるが、一般の議論においてはそうではない。というより、一般の議論においては、万人が正しいと認めるものなら、最初から議論の対象にならない。
 そこで、ここでは「論理」を4つに分けて考えることにしよう。

   (1) 記号論理
   (2) 数学の論理
   (3) 科学の論理
   (4) 議論の論理

 (1) の「記号論理」は論理学の分類では「演繹(えんえき)」と呼ばれるもので、たとえば三段論法がこれに含まれる。「PならばQである。Pである。よって、Qである」のようなものである。この論理は古代ギリシャのアリストテレスの時代にほぼ完成したもので、「古典論理」を呼ばれることもある。古くからあるものには違いないが、だからといって時代遅れになっているわけではない。それどころか、現代社会において大きな力を発揮している。どこで発揮しているかというと、コンピュータの世界だ。コンピュータはまさに論理的に動いているのだが、そこで使われている論理は古代ギリシャのそれと同じものである。いわば「機械的な論理」と言ってもいいだろう。そして、この論理は確実に 100 %正しい。
 (2) の「数学の論理」は (1) の記号論理も使うが、それ以外に(得体の知れない)数というものがあり、そしてそれについて考える際に人の捉え方や感性やアイデアも実はふんだんに盛り込まれている。その意味では、(1) を「機械的な論理」と表現したのに対して、(2) は意外にも「人間的な論理」と呼んでもいいような面を備えている。そして、みんなが正しいと認めたもの(現実には、数学者の集団が正しいと認めたもの)が、「定理」と呼ばれる。その意味で、数学の論理も 100 %正しい。なお、数学の体系が (1) の記号論理で表せないことは、すでに数学的に証明済みである(ゲーデルの「不完全性定理」)。
 (3) の「科学の論理」は数学の論理と同じようなものだと思うかもしれないが、むしろ正反対である。科学で使われる論理は、論理学の分類でいえば 「帰納(きのう)」と呼ばれるものである。帰納とは「反例が見つかっていないから、また他のことと矛盾しないから、とりあえず正しいものと見なそう」ということであって、いわば「経験的な論理」と言ってもよいだろう。そして、ということは、科学において 100 %正しいということは原理的にあり得ないことなのだ。「なぜ物と物は引き合うのか?(万有引力の法則)」という問いに対する科学からの答えは「互いに引き合わない物を見たことが無いから」ということであって、将来もし仮に互いに引き合わない物が見つかったときには「万有引力の法則」は却下される。そんな可能性はどこまでいっても残る。 これが「科学の論理」である。
 (4) の「議論の論理」は (1) とも (2) とも (3) とも異なる。それが使われるのは、自分で考えるとき、他人に説明するとき、議論するときである。いうなれば「普段使いの論理」である。ところで、この論理は 100 %の正しさを保証するものではない。けれども、(1) や (2) や (3) に比べて劣っているというわけではない。というより、この論理はそもそも 100 %の正しさを求めてなんかいない。目的が違うのである。誤解を恐れずに言えば、ここで求めているものは「正しさ」ではなくて、「説得力」である。そのために「根拠・理由」を挙げる。 これが「議論の論理」である。こうして、他人の理解・支持・共感を得ることが、この論理の目的である。また、自分でいろんな可能性を検討する際にも、納得する際にも、この論理は使われる。

 同じ「論理」という言葉を使っても、意味合いはこんなにも違うのである。「論理的な考え方」 と言ったり、「間違った論理」と言ったりするけれども、その「論理」の意味が (1) なのか (2) なのか (3) なのか (4) なのかによって、文脈が全然違ってくる。たとえば、世の中のほとんどの言論は (4) を基盤にしているが、これを (1) の立場でみると「100 %正しい」とは言えない、すなわち「偽」ということになってしまう。あるいは「PはPである」という文は (1) の文脈では正しいが、(4) の文脈では無意味である。
 さて、この4つの論理は、互いに重複して使われるし、もちろんどれも必要だ。その違いをきちんと認識して、うまく使い分けたい。学校でもバランスよく学びたい。ところが、残念ながら、現実にはそうなっていない。というのは、(2)「数学の論理」と (3)「科学の論理」はそれぞれ数学と理科の授業で扱っているが、(1)「記号論理」と (4)「議論の論理」は学校ではほとんど扱われていない。そこで、情報科の出番なのである。

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