2019年3月19日火曜日

「論う」という漢字、読めますか?

つい先ほど気がついたことなんですが、「論う」という言葉があります。議論の「論」、論じるの「論」の訓読み(=和語=やまとことば)です。さて、その漢字、読めますか?

 ある言葉をワープロで打っていて、ひらがなを漢字に変換したら、その字が出てきたんです。「えっ?」と思いましたよ。何かの間違いじゃないか、と。でも、ネットで調べてみたら、確かにそうでした。
 みなさんが知らない言葉じゃありません。そもそも私が知っていて、それを使ったくらいですから、普通の言葉です。テレビの漢字クイズなどでは、漢字の意味を考えて、自分が知ってる言葉と重ね合わせれば見当がつくこともありますが、この漢字については、そのやり方ではたぶん思いつかないでしょう。漢字から思い浮かぶ意味と読み方から思い浮かぶ意味が、ズレているように(むしろ、真逆のように)感じるだろうからです。
 その漢字、「あげつらう」と読みます。そして、その意味はというと、辞書には「物事の善悪・是非・理非・可否を論じる」という意味と「ささいな非をことさらに取り立てて言う」という意味の2つが書いてあります。つまり、もともとは「良い点も悪い点もたくさん挙げる」という意味だったものが、「欠点ばかりを挙げる」という意味に変わってきた、ということのようです。
 なるほど、言葉というものは、人の心を映す鏡なんですね。中でも一般的に使われる単語というものは、人の世を映す鏡なんですね。本来は「根拠(理由)も反論(批判)もたくさん挙げる」ことが「論う(あげつらう)=論じる」ことなのに、「あら探しをして相手の論を否定する」ことでしか「論う(あげつらう)=論じる」ことができなくなっている人が多いということなのかもしれません。

 議論を否定するのは簡単です。議論に真偽判定を持ち込めば必ず偽になりますから。でも、そんなことをしても、何も見えてきません。反対に、肯定すれば、いろんなことが見えてきます。けれども、肯定することは、否定することより難しい。想像力を働かさなければならないからです。いろんな視点で、いろんな立場で考えなければならないからです。
 肯定するだけでは片手落ちだと言うなら、否定するのではなくて、反論しましょう。そうすれば、なおさらいろんなことが見えてきます。ところで、反論と否定は別物ですよ。目的も違えば、矛先も違います。そして、そこまでしっかりやることが、すなわち議論を支える根拠や理由を論(あげつら)い、それに対する反論を論(あげつら)うことが、「論う(あげつらう)=論じる」の本来の意味なんじゃないでしょうか。たまたま偶然に気づいたことから、そんな想いを一層強くしました。

0 件のコメント:

コメントを投稿