2019年3月13日水曜日

パスカルの賭け

 パスカル(1623~1662)といえば「人間は考える葦である」という言葉で有名です。パスカルが書いた「パンセ」という本の中の一節です。
 一方で、パスカルは数学・科学分野でもたくさんの業績を残しています。今でも使われているものでは「パスカルの三角形」や「パスカルの原理」があり、気圧の単位「ヘクト・パスカル」も彼の名を冠しています。「パスカルの三角形」は中学・高校の数学で出てくるもので、(a+b)の n 乗の展開式を手早く作るときなどに使います。「パスカルの原理」は液体や気体の圧力に関する原理で、高校の理科で出てきます。「ヘクト・パスカル」は毎日の天気予報で耳にしますね。


 でもパスカル自身が最も関心があったのは確率論、つまり博打の賭け方の損得計算だったようです。損得計算、つまり期待値の計算法を定式化したのは実はパスカルです。
 そんなパスカルは「パンセ」の中で「神を信じるのと神を信じないのとでは、どちらが得か」を計算しています。これを示すことがパンセの本当の目的だったのかもしれません。「パスカルの賭け」と呼ばれています。

 では、ここで「パスカルの賭け」について説明して、そこから「人間は考える葦である」の真意に迫ろうと思います。
 損得計算とはつまり期待値を計算することであって、「パスカルの賭け」では「神を信じるときの期待値」と「神を信じないときの期待値」をそれぞれ計算して、パスカルはその結果から「神を信じる方が得だ」と結論付けています。
 その計算過程を見ていきましょう。神は「存在するか、存在しないか」のどちらかです。人はそれを「信じるか、信じないか」のどちらかです。それぞれ2通りありますから、その組み合わせは全部で4通りになります。
 そして次のように値を設定します。
  • 「神が存在する確率」を p1 、「神が存在しない確率」を p2 とする。
    このとき p1 と p2 は p1+p2=1 を満たす正の値である。
  • (神を信じる場合)
    実際に「神が存在する」ときに得られる利得を a 、
    残念ながら「神が存在しない」ときの利得を b とする。
  • (神を信じない場合)
    意に反して「神が存在する」ときの利得を c 、
    案の定「神が存在しない」ときの利得を d とする。
  • ここで a は無限大で、b,c,d は有限の値をとる。
    b,c,d は正の値でも負の値でもよい。
これらを整理すると右表のようになります。ポイントは「神を信じて、かつ神が実際に存在する場合に得られる利得a」を「無限大」としたことです。「確かにそうだろう」と思うかどうかは人それぞれだと思いますが、なにはともあれ、それがパスカルの前提です。そして、他の値はすべて有限の値です。
 さて、準備が整いました。パスカルは以上の条件から「神を信じる場合」と「神を信じない場合」の利得(=お得度)の期待値を計算してみせました。
  • 「神を信じる」場合の期待値は、 a×p1+b×p2=無限大
  • 「神を信じない」場合の期待値は、c×p1+d×p2=有限
結果は、見ての通りです。「神を信じる場合」の期待値の方が「神を信じない場合」 の期待値よりはるかに大きいですね。しかもその差は無限大です。確かに計算上はそうなります。なにしろ a が無限大ですから、そうなるのは必然です。念のため説明しますと、p1 がどんなに小さい値であっても、b,c,d のいずれかが負の値であっても、結果は変わりません。
 これを踏まえてパスカルは言います。「無限大の利得に比べれば、有限の値の利得なんて無に等しい」と。だから「神を信じる方が合理的だ」と。パスカルはこれを言いたいがためにパンセを書いたのでしょう。
 この文脈によれば「人間は考える葦である」という文は、

 無限大(=神)に比べれば、(有限の)人間なんて葦のような(=無に等しい)存在だ。けれども考える(=神を信じる)ことによって、無限大(=神と同じようなもの)になれるのだよ。

そんな意味になるのです。


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