2019年4月13日土曜日

現代文という閉じた空間

 人の考え方・感じ方は十人十色です。同じ言葉でも使う人によって、また場面によって微妙に意味が違います。言葉を受け取る人によってもニュアンスが異なります。そう、言葉はあいまいなもの、多様なものです。
 でも「国語の問題・答えがあいまい・多様だ」とイメージしたら大間違いです。言葉はあいまいで多様ですが、国語の入試問題にはあいまいさも多様性もありません。むしろ言葉のあいまいさ・多様性を排除したところに、国語の問題が成り立っています。
 ところが、あいまいさと多様性が、あなたの頭の中でよみがえるのです。せっかく答えが1つに決まるように問題が作られているのに、言葉のあいまいさ・多様性に引きずられて間違えるのです。

 さて、国語の問題でどうやって言葉のあいまいさ・多様性を排除しているのかと言うと、案外単純な話で、
○ 本文に限定
○ 設問の言い回し
この2つで答えを1つに絞っています。
 国語の問題で問うているのは、あいまいさでも多様性でもありません。一般論を問うているのでも、ましてやあなたの考えを問うているのでもありません。ひたすら「著者が本文の中でどのように書いているか」を問うています。本文からはみ出たものは、すべてボツです。
 でも、それだけではまだ答えが1つに絞れません。本文に限定しても、まだいろんな読み方・解釈ができる余地が残っています。そこで次に登場するのが「設問の言い回し」です。そこに絞り込みのための条件が一通り書いてあります。ろ過することで不純物を取り除いて、たった1つの成分を取り出すようなものです。
 ところがそれをあまりやりすぎると、答えが見え見えになってしまう。要するに、誰でも出来てしまうような簡単な問題になって、入試問題としての機能を果たさなくなってしまいます。ですから出題者は適当にあいまいさを残したり、絞り込みの条件をボカしたりするわけです。こうして国語の問題が出来上がります。

 ところで、解答者がなぜ間違えるのかというと、結局のところ言葉のあいまいさ・多様性に引きずられるからです。さらにその訳をさかのぼっていくと、一般論や自分の考えが頭をよぎるからであり、なぜそうなるかと言うと、自分の頭で考えるからです。
 自分の頭で考えたら、ずれます。人の考えは多様だからです。自分の言葉で書いたら、ずれます。言葉はあいまいだからです。5分考えれば5分ぶんだけ、10分考えれば10分ぶんだけ、正確にずれていきます。
 本文を読みながら考えてはいけないのです。国語の問題は「本文に限定」して出されますが、自分の頭で考えれば一般論や自分の考えが浮かんできて、本文からはみ出すのは必然です。それでは正解から遠ざかるばかりです。
 国語の問題を解く際に考えるべき点は、別のところにあります。それは何かというと、出題者の読み方です。先に述べたように、出題者は答えが見え見えにならない程度に、でも答えが1つに決まるように、慎重に言葉を選んで設問の文章を作ります。そこに絞り込みの条件が書いてあります。それは、いろんな読み方・解釈がありうる中で読み方・解釈を指定しているのと同じことなのですが、そこに出題者の意図がくっきりと現れているのです。
 ですから本文よりも、設問をしっかり読むべきです。「てにをは」に注意しながら読んで「どうしてこんな言い回しをするんだろう?」「出題者は何を答えさせたいんだろう?」と考えるべきなのです。

 国語に関して、巷で言われる怪しい俗説がいくつかあります。それを紹介しながら、これまでのことをまとめましょう。
 1つ目は「数学の答えは1つだが、国語の答えはたくさんある」というものです。これは全くの間違いであって、正しくはむしろ真逆です。実際、数学では1つの問題に対して、いろんな解き方があります。数学では解き方そのものが採点対象ですから、その意味で「数学の答えはたくさんある」のです。一方、国語では答えに至る道筋も、そして答えも1つしかありません。国語の問題の作り方を考えれば当然ですが、実は「国語ほど明確に答えが1つに決まるものはない」のです。
 「考えながら(本文を)読め」というのも間違いです。本文は考える対象ではなくて、探す対象です。本文を考えながら読むと、設問の方で排除したはずのあいまいさと多様性が亡霊のようによみがえって間違えます。むしろ考えるべきは出題者の意図です。設問を丹念に読んで絞り込みの条件を読み取ったら、あとは「本文から探す」のが正解への道筋です。
 3つ目は「国語の力は急には伸びない」というものです。これも全くの間違いで、正しくは「国語ほど簡単に伸びる教科はない」のです。後述するトレーニングをしてコツをつかめば、すぐに成績がアップします。しかも一度アップすれば二度とダウンしませんから、とりあえず合格ラインに近づこうと思うなら、真っ先に国語から始めるのがお得です。

 そろそろ〆ましょう。現代文対策として具体的に何をやったらいいかと言うと、「センター試験の過去問を数年分やってみる」ことをお勧めします。なぜセンター試験かというと、難問奇問を避けるため、そして客観性を担保するためです。
 これをトレーニングマシンとして使います。何をトレーニングするかというと、「一般論や自分の考えを入り込ませない」トレーニングです。「考えない」トレーニングだと言ってもいいでしょう。人はつい考えてしまいますから、「考えることを意識して排除する」くらいの積極性を心がけてください。
 考えないとなると、「探す」しかありません。どこを探すかというと、本文です。探すためには、何を探すのかをはっきりさせなければなりません。そうなれば、自然と設問に注目するでしょう。何を探せばいいのかを、設問から読み取ろうとするはずです。こうして「考えない」ことだけ徹底すれば、案外と自然な流れで出題者の意図に沿った答えにたどり着きます。
 それほどたくさんの分量をやる必要はありません。難問に取り組む必要もありません。コツさえつかめればいいのですから、センター試験の過去問数年分で十分です。
 これは一種のメンタル・トレーニングですから、「考えるな」と自分に言い聞かせるくらいの勢いでやりましょう。そうすれば、たちまち国語の成績がアップします。

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