数学を学ぶことで、どんな力が身につくのでしょうか? 数学を勉強することで身につく「将来役立つ能力」とは、どんなものなのでしょうか?
数学の先生は「論理的思考力」だと言うでしょう。ところが、残念でした。ハズレです。説明しましょう。
一言で「論理的」と言いますが、その意味合いは多様なのです。実は 論理には何種類かある のです。数学は確かに論理的な学問です。けれどもそれは、世間でいうところの論理、将来役立つ論理的思考力とはちょっと違います。
というのは、数学でいうところの論理とは「100%正しい論理」です。正しさは完璧でなければなりません。99%正しくても、例外が1つでもあれば「偽=間違い」とされます。それが数学の論理です。
その点が決定的に、現実社会で「使えない」のです。考えてもみてください。現実社会では、はっきりと白黒が付くようなものは最初から問題にならないのですよ。現実に考えたり議論になったりするような問題は、どちらをとっても一長一短、結果はやってみないとわからない、わからないけれども決めなければならない、そういう類の問題です。
その場に数学の論理、つまり「100%正しい論理」を持ち込んだらどうなるか。両方とも「絶対に正しいとは言えない」、つまり「偽」となるに決まっています。こうして結局、何も決められないことになるでしょう。
あるいは、その場で「数学的に正しい」とされるものは何かというと、要するに誰が考えても「当たり前のこと」であって、それを持ち出しても目の前にある問題を解決したりはしないのです。
確かに、数学で身につく論理もあります。そして、数学では身につかない論理もあります。現実社会で必要とされる論理は、後者です。数学で身につく論理は確かにあって、それを「論理的思考力」と呼んでも間違いではないのですが、案外とその論理は実社会で役に立たないのです。実社会で役立つ「論理的思考力」は、それとはちょっと違うものです。
では、初めに戻って、数学を勉強することで身につく「将来役立つ能力」とは、どんなものなのでしょうか?
「試行錯誤力」だと私は思います。数学の問題を前にして、○○の公式を使おうか、それとも参考書に載っていたあの解き方でやってみようか、あるいはもっと簡単にやる方法はないかな、とあれこれ考えて、何はともあれやってみる。それでうまくいかなければ、違う方法でやってみる。
この流れが試行錯誤です。そして、これが現実社会で大いに役立つのです。そのためには、いろんな解き方・考え方が身についていなければなりません。1つしか方法を持ち合わせていないと、それが行き詰った時点でお終いです。数学の問題でも現実の問題でも、オプションをいくつか持って、試行錯誤しながら解決を図ります。その訓練ならびに経験として、数学の勉強が生きるのです。
数学の問題を解くのも、現実の問題に取り組むのも、試行錯誤という点では同じです。けれども、ゴールはまるで違います。数学の問題を解いて最後に得られるのは「100%正しい答え」ですが、現実の問題に取り組んで最後に得られるのはそれではありません。
現実の問題というのは「どうやったらロケットがまっすぐ飛ぶのだろう」だったり、「なぜ組織がうまく機能しないのか」だったり、「どうやって彼女のハートを射止めようか」だったりするのでしょうけれど、そんなものに完全正解なんてないのです。それでもより良い結果を求めて、あの手この手でやってみる。そして最終的にうまくいけば、それが答えです。何が正しいかは、最終的にはやってみなきゃわからないのです。あるいは、やってみても最後までわからないものなのです。
ところで、「数学の論理」は「現実社会で役立たない」と言いましたが、では「現実社会で役立つ論理」とはどんなものなのでしょうか。詳しくは拙著「高校生が学んでいるビジネス思考の授業」の第2章「考え方の作法」をご覧いただきたいのですが、ここでは手短にサンプルを示しましょう。
「現実社会で役立つ論理」とは、私がこの記事で展開しているような論理です。私はこの記事で「100%絶対に正しい」ことは何一つ書いていません。でも、私がここに書いたことに、みなさんが納得してくれるなら、この記事は「論理的な説明」ができているということになるでしょう。そういう意味での論理です。そしてそれは、数学的にはまったくデタラメな論理です。
ここでまとめましょう。数学を勉強することで身につく「将来役立つ能力」がどんなものかというと、それは「試行錯誤力」です。「論理的思考力」ではありません。数学である面の論理的思考力は養えますが、それは実社会では案外役に立ちません。
高校生のみなさん、数学を勉強しましょう。
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