(2017年9月1日)
9月1日は「学校に行かなくていい」という記事をネットで見かけるようになった。去年まではあまり見かけた記憶はないが、今年はよく見かける。9月1日に子供の自殺が増えるからだと言う。
でも僕は言いたい。その前に「夏休みの宿題、やらなくていいよ」と。
自殺するかどうかはともかく、9月1日に「学校に行きたくない」と考える子供は多いだろう。中にはいじめが原因でそう考える子供もいるだろうけれど、むしろ多くの子供にとってそう考える理由は「夏休みの宿題が終わらない」もしくは「宿題をやってない」からだと思うのだ。だったら声をかけるべきは「夏休みの宿題、やらなくていいよ」ではないだろうか。ストレートにそう言ってあげよう。
そもそも「自殺するくらいなら、学校に行かなくていい」というのは欺瞞だ。その一方で「夏休みの宿題やったか?」と口うるさく言ったのでは「学校に行こう」という気分も萎える。そして「もういやだ」という気分が沸き起こる。
「学校に行かなくていい。でも、夏休みの宿題はやれ」、これじゃ子供たちは困ってしまう。宿題が終わらないから、もしくはやってないから「学校に行きたいくない」のであって、宿題が終わっているなら喜んで「学校に行く」に決まっているからだ。
だからやっぱり9月1日に向けて子供たちに言うべき言葉は「夏休みの宿題、やらなくていいよ」だと僕は思うのだ。学校に行くか行かないかはどっちでもいいが、本当に「夏休みの宿題やらなくていい」なら、みんな喜んで学校に行くに違いない。
今年は、9月1日に「学校に行かなくていい」という言葉が流行った。9月1日の数日前からあちこちで耳にし、目にするようになった。
来年は、8月の中ごろから「夏休みの宿題、やらなくていい」という言葉が流行るといいなと思う。そして僕自身は今年からその言葉を使い始めることにした。
僕は中学・高校の教員でもあり、中学生の親でもある。僕は学校でも言ったし、家でも言った。「夏休みの宿題なんか、やらなくていいぞ。やるな」と。うちの学校の生徒であれ、うちの娘であれ、夏休みの宿題が終わらないということは、あるいはやらないということは、心のどこかで「やらなくていい」と彼らが思っているということだ。そしてその考えは、たぶん正しい。
僕としては、今年始まった「学校に行かなくていい」ブームの一歩先を進んでいるつもりなのだが、いかがだろうか。
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