ガリレオがローマ教会に呼ばれました。17世紀前半のことです。当時の記録が多少残っていますが、当時はユーチューブなどありませんでしたから、残念ながら動画は残っていません。そこでこれから私が実況中継風に再現してみようと思います。
教会 :お前は「地球は太陽の周りを回っている」と触れ回っているそうだな。
ガリレオ:だってそうなんだもん。
教会 :お前は、太陽の上に立って地球の動きを見たことがあるのか?
ガリレオ:あっ、そういえば…ない。
教会 :なのにどうして太陽から地球を見ることにこだわるんだ?
ガリレオ:だってそうなんだもん。
教会 :「太陽が地球の周りを回っている」と言っちゃいかんのか?
ガリレオ:別にそれでもいいんですけど…
教会 : だよね。「太陽が地球の周りを回る」のを太陽を止めて考えると「地球が太陽の周りを回っているように見える」というだけの話だろ。そんな当たり前のことを言い触らして何になるんだ?
ガリレオ:いや、あの、その…
教会 :「地球が太陽の周りを回る」と言うと何か良いことでもあるのか?
ガリレオ:さぁ?
教会 :じゃぁ、もう黙ってろ。
ガリレオ:はぁ(それでも地球は回っている…)
おそらくこんなやり取りがあったんだろうと思います。なんだか子供の自由奔放な発想を常識的な大人が諭しているような光景ですね。でも、まだガリレオは「なぜ?」の答えを見つけていないので、これはこれで仕方なかったでしょう。教会を説得するには、もうちょっとまともな理屈が必要です。そのためにはニュートンを経て、その理屈が世の中に受け入れられるまで、もうちょっと時間がかかります。
ガリレオ裁判について「宗教による科学に対する弾圧」のような見方がありますが、むしろ「ガリレオによる説明不足」というのが実態ではなかったかと私は思うのです。私はガリレオや地動説を否定するつもりはありませんが、説明を求める相手に対して「それでも地球は回っている」と言ったらダメですよね。それじゃ説明になっていませんから。
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