さて、ニュートンは「慣性の法則」を次のように説明したそうです。
- 上り坂の上に向かって球を転がすと、減速する。(図5)
- 下り坂で下向きに球を転がすと、加速する。(図6)
- ということは、平らな道で球を転がすと、同じ速さでいつまでも動き続ける。(図7)
この説明も1つの思考実験といえるでしょう。でも、先ほどのガリレオの思考実験と比べると、だいぶザツですね。(図5)と(図6)が納得できたとしても、そこから(図7)だと決めつけるのは、ちょっと行きすぎでしょうから。
でも、この説明で「慣性の法則」が納得できるなら、それでかまわないわけです。そして実際にこの説明で腑に落ちる人もいるはずです。さすがニュートン、といったところでしょうか。凡人には思いつかないようなザツな説明ですからね。
ところでニュートンといえば「リンゴが木から落ちたのを見て、引力を発見した」ということになっています。でも、これもあり得ない話です。引力の存在を知った上で「リンゴが木から落ちる現象も、引力で説明できる」と考えることはあるでしょうけれども、その逆はあり得ません。
そのエピソードは本当は次のようだったのです。再現してみましょう。ニュートンはそのとき、リンゴの木の向こうに浮かんでいる月を見ていたのです。そして彼は考えました。「リンゴは落ちるのに、月はなぜ落ちてこないのか?」と。
そして彼は気づきました。「月も地球に向かって落ちている」ことに。でも月は横方向の運動を保ち(慣性の法則)ながら落ちていくので、落ちた先に地面は無い。結果として月は地球の廻りをぐるぐる廻ることになる。こうして月は地球に向かって永遠に落ち続けているのだ、と。
つまりニュートンが考えた順番は、
ニュートンが「慣性の法則」を理解するに至った考え方を「思考実験」と呼ぶならば、計算によって「万有引力の法則」を導いた過程は「紙上実験」と言えるでしょう。どちらも現実には実験できないことを、頭の中でもしくは紙の上で行った実験です。
高校の理科を攻略する仕方もこの2つです。原理・法則を理解するには思考実験で、理科の試験問題に答えるには紙上実験で。この心意気で理科に臨みましょう。
「空気抵抗を無視すれば」とか「摩擦を考えなければ」とか言いますが、空気抵抗がなかったら、鳥は空を飛べないのですよ。摩擦が無かったら、車は前に進みませんし、人は一歩たりとも歩けませんね。その条件の下で運動を考えるわけですから、考えてみると過酷ですね。
でも、この説明で「慣性の法則」が納得できるなら、それでかまわないわけです。そして実際にこの説明で腑に落ちる人もいるはずです。さすがニュートン、といったところでしょうか。凡人には思いつかないようなザツな説明ですからね。
ところでニュートンといえば「リンゴが木から落ちたのを見て、引力を発見した」ということになっています。でも、これもあり得ない話です。引力の存在を知った上で「リンゴが木から落ちる現象も、引力で説明できる」と考えることはあるでしょうけれども、その逆はあり得ません。
そのエピソードは本当は次のようだったのです。再現してみましょう。ニュートンはそのとき、リンゴの木の向こうに浮かんでいる月を見ていたのです。そして彼は考えました。「リンゴは落ちるのに、月はなぜ落ちてこないのか?」と。
そして彼は気づきました。「月も地球に向かって落ちている」ことに。でも月は横方向の運動を保ち(慣性の法則)ながら落ちていくので、落ちた先に地面は無い。結果として月は地球の廻りをぐるぐる廻ることになる。こうして月は地球に向かって永遠に落ち続けているのだ、と。
つまりニュートンが考えた順番は、
- 月はなぜ落ちないのか?
- いや、それは間違いである。月も落ちている。
- すべての物は落ちる(互いに引き合っている)。
- リンゴが落ちるのは当然だな。
- リンゴを地球の公転軌道に乗せるには、どちらの方向にどれだけの速さで投げればいいか?
ニュートンが「慣性の法則」を理解するに至った考え方を「思考実験」と呼ぶならば、計算によって「万有引力の法則」を導いた過程は「紙上実験」と言えるでしょう。どちらも現実には実験できないことを、頭の中でもしくは紙の上で行った実験です。
高校の理科を攻略する仕方もこの2つです。原理・法則を理解するには思考実験で、理科の試験問題に答えるには紙上実験で。この心意気で理科に臨みましょう。
「空気抵抗を無視すれば」とか「摩擦を考えなければ」とか言いますが、空気抵抗がなかったら、鳥は空を飛べないのですよ。摩擦が無かったら、車は前に進みませんし、人は一歩たりとも歩けませんね。その条件の下で運動を考えるわけですから、考えてみると過酷ですね。
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