2019年3月13日水曜日

天動説の唱え方

 「天動説は間違いで、地動説が正しい」とは限りません。冷静に比べてみましょう。
 地動説の「地球が太陽の周りをまわる」のと、天動説の「太陽が地球の周りをまわる」のは全く同等です。「太陽を止めて地球の動きをみれば、地球が回っているように見えて(図1)、地球を止めて太陽の動きをみれば、太陽が回っているように見える(図2)」というだけのことです。数学的に見ても、両者は全く同等です。どちらが正しいとか間違いだとか、そういう問題ではありません。
 「天動説よりも地動説の方がわかりやすい」とも言えません。月の動きを見てください。天動説では「月は地球の周りをまわる」(図4)だけです。とてもシンプルです。それに対して地動説では「地球が動いて、その地球の周りを月がまわる」のですから、月の軌道は(図3)のような螺旋状になります。とても複雑ですね。この点に関しては、天動説の方が地動説よりよっぽどシンプルです。
 惑星の動きはどうでしょうか。地動説によると、金星は(図5)のように動きます。その動きを地球から見るとどうなるかというと、(図6)のような螺旋状になります。地球上で金星を観測すれば、実際そのように見えます。これが、天動説です。天動説では金星の動きは複雑になりますが、それは実は地動説における月の動きと全く同じなのです。


 さて、このように地動説と天動説を見比べたとき「地動説が正しくて、天動説は間違い」なんてことが言えますか? 言えませんね。両者の違いは単なる視点の違いにすぎません。太陽を止めて他の天体の動きをみるのが地動説で、地球を止めて他の天体の動きをみるのが天動説。ただそれだけのことです。
 「地動説の方が天動説よりも優れている」と言えますか? 言えませんね。どちらもそれぞれにシンプルな場合もあれば複雑な場合もあって、どっちもどっちです。イーブンです。
 天動説は間違いですか? そうじゃありませんね。天動説が間違いなら「太陽は東から上って、西に沈む」と言えなくなってしまいますよ。それでいいんですか? 理科の教科書もNHKも間違っていることになっちゃいますよ。「日の出」と言う代わりに「私の立っているところが太陽の方を向いて地面にさえぎられることなく太陽光が直接届いた」と言うのって面倒じゃないですか?
 地動説と天動説では、どちらの方が私たちの生活実感に合いますか? 天動説ですね。実際私たちは地球から宇宙を見ています。太陽に立って宇宙を見た人など誰もいませんね。にもかかわらず太陽の視点で宇宙を眺めることに何の意味があるのでしょう?

 天動説は別に原始的な考え方でもないし、宗教がかったものでもありません。単に「地球から見れば天体の動きはそう見える」というだけのことです。地球上で観測して、観測結果を忠実に再現して出来上がったものが天動説なのです。地球上で観測したのですから、そうなるのは当然です。というより、精密な観測機器がなかった時代に、かなりの精度で再現したことに私は感嘆するのです。
 なぜ現代人は「地動説が正しい。天動説は間違いだ」と言うのでしょう? その考え方、どこか宗教がかっていませんか?
 地動説の星の動きも天動説の星の動きも、どちらもある点ではシンプルで、ある点では複雑で、どちらも美しいといえば美しいものです。
 天動説には大きなメリットがあります。それは、私たちが地球から見る星の動きそのままであること。この点では地動説は太刀打ちできないでしょう。
 では、地動説のメリットは何でしょうか。実はたった1つだけあるのです。それは、そこから「なぜ?」が始まったということ。天動説で星の動きがかなり正確に説明できたとしても、「なぜそのように動くのか?」は見えてこないのです。地球中心のものの見方から太陽中心のものの見方に転回することで、「なぜ?」に火がついたのです。
 これがコペルニクス的転回の肝です。コペルニクス(1473~1543)自身も天動説を勉強しながら、「なぜ?」が気になっていたのでしょう。けれども天動説では「なぜ?」に答えられそうにない。そうして思い悩む中で「視点をずらす」ことを試してみたのでしょう。
 これが物理学の始まりでした。そこに最初に食いついたのがガリレオ(1564~1642)です。そしてニュートン(1642~1727)が続きました。その流れの中で「重力」の存在を知り、「万有引力の法則」が出来上がったのです。高校物理のメインテーマ「運動力学」はこうして作られました。



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