2019年3月14日木曜日

お金の条件

 単なる紙切れが、なぜお金として通用するのか?

○ 「それを『お金だ』とみんなが思っている」とみんなが思っているから

 「誰かがそれを『お金だ』と思っている」だけではお金は成り立たない。たとえば、オレがそこに落ちている葉っぱを『お金だ』と思っていても、他の人がそれをお金として受け取ってくれなければ、オレはそのうちそれがお金でないことに気づいてしまう。だからそれがお金として通用するためには、まず「みんながそれを『お金だ』と思う」ことが必要条件である。
 けれども、それは十分条件ではない。つまり「みんながそれを『お金だ』と思う」だけでは、まだ足りない。それに加えて「「他の人がそれを『お金だ』と思って受け取ってくれる」とみんなが思う」ことが必要だ。というのは、「みんなが自分ではそれを『お金だ』と思っている」けれども「『他の人はそれをお金だと思っていない』とみんなが思っている」ということはありうることなのである。
 ところが、自分がそれを『お金だ』と思っていても、『相手もそれをお金と思っている』と思えなければ、取引は成立しない。つまり、お金として機能しない。だから「「それを『お金だ』とみんなが思っている」とみんなが思う」ことが必要条件なのである。
 ところで、自分はそれをお金だと思っていないが「自分以外のみんながそれを『お金だ』と思っている」とみんなが思っているときはどうかというと、この場合もやっぱりお金は成り立たない。その状況下では誰かが「それはお金ではない」と言った途端に、それはお金でなくなる。「自分以外のみんながそれを『お金だ』と思っている」という思いが間違っていたことをみんなが知ることになるからである。裸の王様と同じ状況である。だから「「それを『お金だ』とみんなが思っている」とみんなが思っている」というときの「みんな」は「自分を含むみんな」でなければならない。
 そして「それを『お金だ』とみんなが思っている」とみんなが思っていれば、お金は成り立つ。この条件下では、その紙切れを売り手が受け取ってくれると思うから買い手はその紙切れを差し出すのだし、また他の人がそれを受け取ると思うから売り手はその紙切れを受け取るのである。
 お金として機能するにはそれで十分だ。すなわち「「それを『お金だ』とみんなが思っている」とみんなが思っている」ことは、お金が成り立つための十分条件である。
 以上から、

○ 「それを『お金だ』とみんなが思っている」とみんなが思っていること。

これがお金が成り立つための必要十分条件である。


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