2020年12月25日金曜日

昔のお金と今のお金、そして未来のお金

 昔のお金は「物々交換の仲立ち」だった。山男が芋を、海男が魚を、田男が米を持っていて、他の物と交換したいと考えたとしよう。ところがお金がないと、うまくいかない場合がある。

《ケース1》山男が魚を、海男が米を、田男が芋を欲しいと思った場合。
      お金がないと、3人が同じ場所に居合わせない限り、取引が成立しない。
      お金があれば「魚 ⇔ お金 , 米 ⇔ お金 , 芋 ⇔ お金」、これで取引が成立する。

《ケース2》山男が魚1匹を、海男が芋1個を欲しいと思っているが、
      芋3個と魚2匹が等価である場合。
      山男か海男が「そんなにたくさんは食えんなぁ」と考えれば、取引が成立しない。
      お金があれば「魚1匹 ⇔(芋1個+差額のお金)」、これで取引が成立する。

 かくもお金は便利なものである。だからお金が流通するようになった。これが「昔のお金」である。一時的にお金を保管することはあっても、それは 最終的には必ず物と交換された。

 さて、「今のお金」には、それをはるかに超えた意味合いがある。もちろん物々交換の仲立ちとしての意味合いも残っているが、それは貧乏人がはした金を使う場合の話である。
 金持ちにとって、あるいは企業にとって、お金は物を交換するためにあるのではない。彼らにとって、お金は「物を生み出すため」にあるのだ。つまり、資本としてのお金である。
 今のお金は物を生み、物はお金を生む。そうやって自己増殖する。

 そんなことは昔のお金にはできなかった。昔は「自然が物を作ってくれた」のである。昔の人々はお金を媒介として、それを交換したにすぎない。昔のお金は、決して物を作ったりはしなかった。
 ところが今は、お金(=資本)が物を生み出しながら、自己増殖するのである。でも、なぜなんだろう? 無から有が生じることはない。たかが紙切れが、あるいは金属の欠片が、なぜ物を生み出すのか?
 もちろんそこにはカラクリがある。そのカラクリとは「資源とエネルギーの消費」である。化石燃料を大量に消費し、物を生産して、物を消費する。これがお金と物の自己増殖のメカニズムである。
 そして、これが資本主義経済の本性であり、前提であり、そして同時に限界でもある。

 未来に思いを馳せてみよう。未来のお金は、どんな姿をしているんだろう? それは、何のために存在するんだろう?


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