2019年3月14日木曜日

アンパンマン・ワールドの経済学

 ジャムおじさんはタダでパンを配っている。 なぜそんなことができるのか?
 理由は簡単である。タダで何でも手に入るからである。パンの原料である小麦は、ヤギおじさんが挽いて、SLマンが届けてくれる。野菜はオクラちゃんが届けてくれる。鉄火のマキちゃんはお寿司を御馳走してくれるし、てんどんマンは天丼を御馳走してくれる。
 だからジャムおじさんは、みんなにタダでパンを提供できる。しょくぱんマンがタダで学校に配達してくれる。ミミ先生も無給に違いない。ミミ先生だってタダで何でも手に入るのだから、給料なんて要らないのだ。でも、教えることは子供たちのためになるし、彼女の喜びでもある。だから、働いている。
 食べ物だけではない。クレヨンマンはクレヨンを、ランドセルマンはランドセルを、子供たちにタダで配る。SLマンがいるということは、鍛冶屋もあるに違いない。パン工場があるということは、大工もいるに違いない。でも、全部タダ。みんなが、アンパンマン・ワールドのために自分が出来ることをしっかりこなしているのである。
 考えてみると、人間社会はお金があるせいで、ずいぶんと無駄なことをしているのではないか。人は、より多くのお金を手に入れるために、より多くの物を生産しようとする。そして、手にしたお金でより多くの物を消費しようとする。そうして生産と消費の回転を加速させることが、人間社会の目的になってしまった。あるいは物を手に入れられない不安を取り除くために、お金をしこたま貯めこもうとする。
 お金なんてものが存在しなければ、銀行も財布も要らない。スーパーのレジ係りも会社の会計部門も要らない。余った人力を他のことに振り向ければ、もっともっと素敵な社会が作れるんじゃなかろうか。有限な資源とエネルギーは、奪い合うものじゃなくて、最も有効に使ってくれる人に譲ることになるだろう。
 みんなが好き勝手に、世のため人のため社会のためになるように働けば、それはそれでうまく回るんじゃないか。みんなが好き勝手にお金を求めて動くより、効果的かつ効率的なのかもしれないぞ。みんなが自分に出来ることをしっかりこなせば、本当はお金なんか無い方がいいのだ、きっと。アンパンマン・ワールドが、僕らにそれを示してくれているような気がする。
 そして、その路線で新しい社会を開くとするなら、担い手はやっぱり日本人だ。それでしかありえない。なぜなら、日本は八百万の神の国。 あらゆるものに神を見る。そして実は、アンパンマンの仲間たちは、八百万の神なのだ。日本人の心情に即して言うと、そういうことになる。
 資本主義経済はキリスト教の世界観から生まれた。その世界観によると、お金は神だ。唯一絶対の力を持つ神だ。だから、それに従わなければならない。そして、お金を手にすることは、神の力を手にするに等しい。お金の力を行使することは、キリスト教=資本主義経済の神の御心にかなう行為である ・・・ と、そういうことになるのだろう。けれども、今その限界が見えてきた。
 日本人の神は、それとは違う。大地が恵んでくれたものをみんなで分け合うというのが日本人の発想だ。八百万の神であれ、アンパンマンの仲間たちであれ、それは自然の恵みに感謝する日本人の心情そのものである。バイキンマンとドキンちゃんにシチューを食べさせるときのシチューおばさんの幸せそうな顔を見よ。育てた野菜との別れを惜しむときのオクラちゃんの涙を見よ。
 アンパンマン・ワールドには税金は無いし、脱税も無い。オレオレ詐欺も保険金殺人も無い。お金が無いんだから、ありえない。お金ってものは、なかなか面倒なものだ。 僕自身、ずいぶん無駄な神経を使っていると思う。お金から解放されたら、楽だろうな。いい社会だと思うな。
 ダメかな?

◇ アンパンマン・ワールドは八百万の神の国 


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