2019年4月15日月曜日

☆ 阿吽(あうん)の呼吸の作り方

周辺情報を大量に浴びせて、でも肝心なことは絶対に言わない
これが日本人の典型的な議論なんだな。先日ある人と議論(というほどのものでもない)して、そう思った。
あれもこれもごちゃ混ぜにして、要点を溶かし込んで解消する
ことを図っているかのようである。記事にしてみて、日本的議論の特徴がくっきりと浮き出てきたように思う。
◇ 相手の立場でものを言う (→ https://omori55.blogspot.com/2019/04/blog-post_22.html )
◇ 相手の気持ちを慮る   (→ https://omori55.blogspot.com/2019/04/blog-post_972.html )
◇ わかり合う       (→ https://omori55.blogspot.com/2019/04/blog-post_28.html )
いずれも良いことのように見えるが、実は裏がある。
相手の領分にずけずけ口を出す一方で、自分のことはだんまりを決め込む
要はそういうことなのだ。でも、お互いにそういう姿勢でいれば、それはそれでうまくいくのかもしれない。
相手のことを自分の中に取り込み、自分のことは相手にゆだねる
これが日本的コミュニケーションの理想形なのかもしれないな、阿吽(あうん)の呼吸みたいなものはこうして生まれてくるのかな、と思う。そしてこうなると、
相手に問い質すことは、日本的コミュニケーションを破壊する行為である
とされるのは当然だよなぁ、と思うのである。



 あっもちろん、「問い質してはいけない」なんてこれっぽっちもボクは思っていませんから。
 それより、「聞いたことにはちゃんと答えてよ」って思う。

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