慶応大学総合政策学部2018「小論文」より
《資料3》一組の既知の個人的嗜好から一つの社会的意思決定様式に移行する手続きを構成することが形式的に可能であるか否かが問われている。ただし問題の手続きはいくつかの自然な条件を満足することが要求される。この問題の一つの実例は次に見る周知の「投票の逆理」である。
三人の投票者から成る一つの社会があり、この社会が三つの異なる社会的活動方式(たとえば、武装解除、冷たい戦争あるいは熱い戦争)の間での選択を迫られれていると想定しよう。この種の選択は反復して行われなければならないと予想されるが、この三つの選択対象の全部が利用可能であるとは限らない場合があろう。欲望が一定で価格・所得状況が可変という条件下にある個別消費者の通常の効用分析から類推すると、社会の側での合理的行動は次のことを意味するであろう。
すなわち、社会はその集団的選好に従ってその三つの選択対象の順序付けを一度に定めてしまい、次に任意に与えられた状況において実際に利用可能な選択対象の中でこの一覧表の上で最高位にあるものを選択する。この集団的選好階梯表に到達する一つの自然な方法は、もし社会の過半数が第一の選択対象を第二のそれより選好する、すなわち、この二つの選択対象だけが利用可能な場合には第二のものを制して第一のものを選択するならば第一の選択対象が他方より選好されると言うことであろう。
A,BおよびCを三個の選択対象、1,2および3を三人の個人とする。個人1はAをBよりまたBをCより(したがってAをCより)選好し、個人2はBをCよりまたCをAより(したがってBをAより)選好し、さらに個人3はCをAよりまたAをBより(したがってCをBより)選好する。したがって社会はAをBよりまたBをCより選好していると言えよう。もし社会が合理的に行動するとみなされるべきならば、AがCより選好されていると言わなければならない。しかし実際には社会の過半数はCをAより選好している。
このように個人的嗜好から集団的嗜好へ移行するための方法として上に略述したものはわれわれが通常理解している意味での合理性の条件を満足しない。個人的嗜好を集計する方法の中で社会の側での合理的行動を含意し他の面でも申し分ないものを別に見出しうるだろうか。
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