2019年10月29日火曜日

人工知能は漫画を読んで笑えるか?

 AI囲碁が人間の囲碁名人に勝ったことをもって「人工知能が人間を超えた」という人がいるが、それは驚くべきことでも何でもない。
 似たようなケースはいくらでもある。たとえば人間は計算スピードにおいてもうだいぶ前に電卓に負けている。いや、そのはるか昔にソロバンにだって人間は負けている。人間が囲碁でコンピュータに負けたというのは、基本的にはそれと同じことだ。
 「囲碁は複雑なゲームだ。それで勝ったのだから、やっぱりすごい」という人もいるが、それも違う。囲碁は実はものすごくシンプルなゲームなのだ。いかにシンプルかというと「ルールがある」くらいにシンプルなのだ。ルールの中でのみ考えればよい。ルールに反することは一切許されない。それほどまでにシンプルなのだ。
 さて、人工知能は漫画を読んで笑えるだろうか? いや、絶対無理だ。笑うどころか、理解すらできないだろう。
ぼこっ
はぁ~?
むにゃむにゃ
☆♡△#&♪!?
人間は絵が理解できて、こんな文章でも読み取れて、それらを結び付けて解釈できる。そして、時に泣いたり笑ったりできるのだ。ところが、人工知能にはどちらもできない。絵もわからない。上のような文章も理解できない。それらを結び付けることもできず、要するに何もわからない。囲碁より漫画の方がよっぽど高度だから、そういうことになる。
 人工知能が写真を理解するレベルは上がっている。写真ならビッグ・データが使えるからだ。膨大な枚数の写真から特徴を取り出すことができるということだ。ところが、漫画にはビッグ・データがない。むしろそれぞれの漫画が個性的すぎて、抽出できるほどの共通の要素が最初から無いのである。だから人工知能は漫画を理解できない。それでも人は理解できる。人工知能より人の方がよっぽど優秀だから、そういうことになる。
 人間が機械や道具に負けるなんてことは、あると言えば昔からよくあることだ。当たり前にある。人間が力いっぱい走っても、自転車は軽々と追い越していく。走高跳の世界チャンピオンより、紙飛行機の方が高く長く飛んでいられる。それと同じ意味合いで、AI囲碁が人間の囲碁名人に勝ったのである。

 滞空時間が紙飛行機に及ばないことをもって「人間は紙飛行機に負けた」と言う人はいないだろう。人間のスピードが車に及ばないことを嘆くより、速く行きたきゃ車に乗ればいいのである。
 計算のスピードや正確さをコンピュータと競うのは無意味だ。記憶容量や復元スピードをデジタル・デバイスと争うのは無益だ。そんなものは機械に任せればいいのである。
 人間がやるべきことは他にある。人間がやるべきなのは「ルールの無いところで何かを創り上げる」こと。もうちょっと平たく言うと、話し合うこと、相談すること、感性を形にすること。これは機械にはできない。人工知能にもできない。
 学校でも同じだ。知識を増やしたり、計算の速さ・正確さを磨いたり、そんなことに精を出すのはもう止めよう。それよりも、話をすること、感じること、新しい何かを作ることなど、機械にできない力を育てよう。機械と張り合うより、人間は機械をうまく使いながら、機械にできないことをやればいいのである。そうじゃないと、それこそ機械に負ける。人工知能に食われる。

2019年10月27日日曜日

自分を広げるということ

 自分が出来ることを広げていく。自分が出来ることのレベルを上げる。やるべきことはこの2つだけ。
 すなわち、何にでも興味を持って、いろんなことに手を出す。そして時々熱中して、とことん詰める。他には何もいらない。
 大人も子供も同じ。学校の成績がどうだかは関係ない。勉強も部活も、自分を広げ、自分のレベルを上げるための手段であり、場所である。親や先生が出来ることは、そのための環境を整えること、きっかけをたくさん並べること。それだけ。
 大人になっても同じ。仕事をすることがそのまま自分を広げ、自分のレベルを上げることにつながる人は幸せである。仕事をしながら同時並行でそれを進められる人もなかなか良い。仕事をするがためにそれが進まないなら、仕事を変えることを考えた方が良い。
 一生学び続けるとは、そういうこと。

2019年10月26日土曜日

確率論が始まった頃の問題

3個のサイコロ A , B , C を同時に投げて出た目をそれぞれ a , b , c とする。
a+b+c=9 となる目の組合わせは、(1,2,6) , (1,3,5) , (1,4,4) , (2,2,5) , (2,3,4) , (3,3,3) の6種類であり、
a+b+c=10 となる目の組合わせは、(1,3,6) , (1,4,5) , (2,2,6) , (2,3,5) , (2,4,4) , (3,3,4) の6種類である。
16世紀イタリアのトスカーナ大公はガリレオ・ガリレイに「a+b+c が 9 よりも 10 の方が出やすいのはなぜか?」と問うた。それぞれの確率を求めることで検証せよ。



例えば (1,2,6) は (1,2,6) , (1,6,2) , (2,1,6) , (2,6,1) , (6,1,2) , (6,2,1) の6通り、
また (1,4,4) では (1,4,4) , (4,1,4) , (4,4,1) の3通りとしないと出る目の組合せが「同様に確からしい」と言えない。
だから、a+b+c=9 となる確率は P(X)=(6+6+3+3+6+1)/63=25/216 であり、
a+b+c=10 となる確率は P(Y)=(6+6+3+6+3+3)/63=27/216 である。
P(X) <P(Y) だからトスカーナ大公の感覚は正しい。

2019年10月24日木曜日

核家族の終わり

 家族に子供がたくさんいれば、子供がみんなずっと家にいるわけにはいかない。親と同居するのはそのうちの1人で、他の子供たちは結婚したら独立して新たに家を持つのは自然なことだ。仕事を求めて地方から都会に出て行く場合も然り。こうして核家族が発生した。核家族では子育てのために誰かが家に常駐するのも自然なことで、母親がその役割を担った。それが、ここ30年の日本の姿だった。


 ところで、子供の数が少なくなれば、この形は変わっていかざるをえなくなる。少ない子供たちがみな家から出て行ったら、老人だけの家庭が出来上がる。そうなると、元気な老人もたくさんいるのに、やることがない。女性の社会進出が進んでいるとはいえ、母親は相変わらず仕事に出にくい。両親が仕事に出れば、両親の負担が増え、子供にとっても育ちにくい環境になる。もちろん子供を産みにくい。


 でも、考えてごらんよ。家庭に子供が少ないなら、やがて独立して自分だけの家を持たなければならないということにはならない。子供が2人なら、2人とも自分の親、もしくは配偶者の親と一緒に住むことができるのだ。3世代が一緒に住めば、じいさん・ばあさんは子供の世話という社会的任務を引き受けられて、とうさん・かあさんはバリバリ働けて、子供たちは家族と一緒にすくすく育つのだよ。


 上図はこれまでの姿。中図はたった今の姿。下図は間もなくこうなるであろう姿。それぞれ典型的な姿。

高校生のための起業マニュアル

起業するなら、
  1. 会社の会計部門に配属されて「会計の考え方」を身につける。
    お金が好きでなくてもいいが、数字が好きにならなきゃならない。
  2. 続いて仕入れ・販売部門に移って「物流の現場」に身を置く。
    具体例を最初から最後まで通して見る。理屈は無用。
  3. 1と2の仕事をしながら「人のつながり」を作る。
    そのためにはあなたから他の人に与えられるものがなければならない。
    ノウハウなり心意気なり。
  4. 同時に「人の役に立つサービスにはどんなものがあるか」を考える。
    売れるものを考えても無駄。そんなものは既存の会社が売り出す。
  5. お金のことは考えない
    それを考えてもどうにもならないし、そんなものはどうにでもなる。
  6. 大学では「自分がどんなふうであれば社会の役に立つか」を考える
    そして、その姿にふさわしい力と技能を養う。
  7. 高校では「得意なこと、継続して興味を持てそうなもの」を探す
    そのために、いろんなことをなんでもやる。勉強もその1つ。
これでバッチリ。うまくいけば起業家に、最低でも会社が欲しがる人材にはなれる。

2019年10月20日日曜日

予防接種の効果はいかほどか?

 ある町である年に実施したインフルエンザの予防接種にどれくらい効果があったのかを調査しました。結果は、

  データ1:予防接種を受けた100人のうちインフルエンザに罹ったのは10人だった。
  データ2:予防接種を受けなかった100人のうちインフルエンザに罹ったのは20人だった。

この結果を踏まえて、2人の人がこう言いました。

  G氏:予防接種の効果でインフルエンザに罹る率が半減した。
  C氏:予防接種の効果でインフルエンザに罹る率が1割減った。

 さて、この2つの発言のうち、正しいのはどちらでしょうか? あるいは、両方とも正しいなら、妥当なのはどちらでしょうか? もしくは、両方とも妥当なら、この2つをどのように使い分ければいいでしょうか? それから、しっくりくるのはどちらでしょうか?
※ 2つのグループは予防接種を受けたか受けなかったかという点以外は同じようなグループと考えてください。また、2次感染・3次感染…、予防接種による副作用や、罹ったときの症状の重さ・軽さなどは無視して、データ1・データ2の数だけで考えてください。


 さて、予防接種の効果でインフルエンザに罹る「人数」がどれくらい減ったか というと、

  20人-10人=10人

ですね。ところで、残りの90人は予防接種を受けても受けなくても結果は変わりません。

  ◇ 100人のうち10人は、予防接種を受けても受けなくても、インフルエンザに罹った
  ◇ 100人のうち80人は、予防接種を受けても受けなくても、  〃  罹らなかった

ということですから。
 では、予防接種の効果でインフルエンザに罹る「割合」がどれくらい減ったか というと、それは「何を分母にするか」によって変わってきます。

  ◇ 予防接種を受けずにインフルエンザに罹った人を分母にすれば、10人÷20人=50%
  ◇ 予防接種を受けなかった人全員を分母にすれば、10人÷100人=10%

 そのように考えると、上記のG氏の発言もC氏の発言もどちらも間違っていないのです。両方とも正しいのです。
 それにしても50%(半減)と10%(1割減)では印象が全然違いますね。

  ◇ G氏のように言われると「予防接種の効果って大きいんだな」と感じ、
  ◇ C氏のように言われると「予防接種の効果ってそれほどじゃないんだな」と感じる

のではないでしょうか。さて、この差は何なのでしょう? この違いはどこから来るのでしょう?
 それは、立場の違いなんじゃないでしょうか?

  ◇ 全員が予防接種を受ければ、インフルエンザに罹る率(人数)は半減する。
  ◇ 自分が予防接種を受ければ、インフルエンザに罹る率(危険性)は1割減る。

ということですから、

  G氏は行政(Government)の立場に立っていて、
  C氏は市民(Citizen)の立場に立っている。

と受け取ればいいのでしょう。つまり、この例の場合、

  行政は「半減」と言うでしょうが、
  あなた個人にとっては「1割減」なのです。

 みなさんはインフルエンザの予防接種を受けていますか?