2019年3月25日月曜日

バカを論証する

 次の2つの文のうち、絶対に正しいのはどちらでしょうか?
(文1)~~と言う人はバカである。○○は~~と言った。よって、○○はバカである。
(文2)○○は~~と言った。よって、○○はバカである。
(文1)を「命題」と受け取れば、これは絶対に正しい。誰が見ても正しいはずです。典型的な3段論法です。一方、(文2)は絶対に正しいとは言えない。誰が見ても正しいとはとても言えないでしょう。
 ところで、(文1)と(文2)を比べてみると、(文2)は(文1)の一部です。(文2)に「~~と言う人はバカである」という条件を付け足したものが(文1)です。つまり、(文2)だけでは正しくないけれど、それにもう1つの条件を付け足すことで、(文1)が正しい文になるということです。
 でも、(文1)の方が(文2)よりも優れていると考えたら、大間違いです。(文2)は(文1)の出来そこないだと考えるのも、大間違いです。説明しましょう。

 「(文1)が正しい」という意味は、「前提から結論を正しく導いている」という意味です。決して、「前提が正しい」ということでもないし、「結論が正しい」ということでもありません。つまり、(文1)は絶対に正しいのだけれども、「○○がバカである」ことを示したことにならないのです。
 (文1)において「結論が正しい」ことを言うためには、「前提が正しい」ことを言わなければなりません。さて、どうやったら「前提が正しい」ことが言えるでしょうか?
 ここで2つ目の前提「○○は~~と言った」は正しいものとしましょう(現実には「誤解だ、曲解だ、揚げ足取りだ」のように、ここが問題になることが多いのですが、ここではそういうことは除外して考えます)。そうすると、1つ目の前提「~~と言う人はバカである」が正しければ、結論が正しいことになります。
 では、どうすれば「~~と言う人はバカである」が正しいことを示せるでしょうか? ここでちょっと、それと(文2)を見比べてください。
(文1)’~~と言う人はバカである。(文1の前提)
(文2)○○は~~と言った。よって、○○はバカである。
(文1)’は(文2)よりはるかに多くのことを述べなければならないことがお分かりいただけるでしょうか。(文2)は「○○は~~と言ったから、○○はバカだ」と言っているのに対して、(文1)’は「~~と言う人は、みんなバカだ」と言わなければならないのです。(文2)は「特定の場面において、特定個人のことだけ」を言えばいいのに対して、(文1)’では「誰であっても、どんな場面であってもそれが成り立つ」と言わなければならないのです。(文1)’が正しいと示すことは、(文2)が正しいことを示すより、ずっとハードルが高いのです。当たり前です。(文1)’は(文2)を含んでいるからです。
 ところで、(文1)も(文2)も結論は同じです。「○○はバカである」、これがゴールです。では、スタートは?というと、(文2)にとっては「○○は~~と言った」こと、これがスタート(根拠)です。
 では、(文1)にとってのスタートは何でしょう? 形式的には「前提」が(文1)のスタートなのですが、先ほども申しあげたように、それでは結論が正しいことを示したことにならないのです。それでは、ゴールにたどり着かないのです。「○○はバカである」というゴール(結論)にたどり着くためには、上記(文1)’を示さなければならなくて、それは(文2)を含みますから、結局のところ(文1)のスタートラインは(文2)のそれと同じだと考えざるをえないのです。
 ここでもう一度(文1)と(文2)を見てみましょう。
(文1)~~と言う人はバカである。○○は~~と言った。よって、○○はバカである。
(文2)○○は~~と言った。よって、○○はバカである。
(文1)は絶対に正しくて、(文2)は正しいとは言えないわけです。(文1)は前提から結論が正しく導けますが、(文2)では前提から結論を正しく導いているとは言えませんから。
 (文2)は論理的にぶっ飛んでいます。確かにそのとおりです。でも、(文1)を使って結論が正しいことを示そうとしたら、もっと激しくぶっ飛ぶしかないのです。

 そのことを図に表すと、右のようになります。図の階段の高さは「情報量」を表しています。
(文2)は上にジャンプしています。先ほどは「ぶっ飛ぶ」と言いましたが、「論理が飛躍している」と言ってもいいでしょう。
 一方、階段を降りるようなイメージのものが(文1)です。前提の方が情報量が多くて、論証を進めるうちにだんだんと情報量が減っていって、結論に至ります。ここには一切の飛躍はありません。「前提から結論を正しく導く」というのはそういうことです。
 けれども、そのことと「結論が正しい」かどうかは別物で、結論が正しいことを示すためには、前提が正しいことを示さなければならなくて、そのためには(文2)のジャンプよりはるかに大きなジャンプ(論理の飛躍)をしなければならないのです。そして、そうなると飛躍が大きい分、(文2)よりよっぽど怪しい議論になるでしょう。結局のところ(文1)で「結論が正しい」ことを示そうとすると、無駄に遠回りをして、無茶な飛躍をして、論理的に破綻するのがオチなのです。

 では、どうすればいいのでしょう? 単純な話です。(文2)で語ればいいのです。「○○が~~と言ったこと」が「○○はバカだ」と判断する十分な根拠になると思えば、「○○はバカだ」と判断すればいいのです(それを公言・放言するかどうかは、また別の話です)。
 (文2)で語るときのポイントは説得力です。根拠をきちんと説明することです。でも、絶対に「正しい論理」になんかなりません。それでいいんです。
 記事「論理には4種類ある」で論理を「記号論理」(命題論理)と「数学の論理」と「科学の論理」と「議論の論理」の4つに分けました。(文1)の論理が「記号論理」(命題論理)です。(文2)の論理が「議論の論理」です。


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