高校の理科は「式で理解する」ものです。理科の原理や法則の多くは式で表されますし、理科の入試問題はそれらの式をもとに計算するものが大半ですから、式以外の方法で理解してもまるで得点できないでしょう。
そのように言うと、理科は数学と同じだと思うかもしれませんが、実はだいぶ違います。3つ挙げましょう。
○ 理科は自然界の出来事を扱っている
○ 公式の数は数学に比べてずっと少ない
○ 公式の形も計算も数学に比べてずっと簡単
抽象的でともすると現実離れしているような感さえ漂う数学と比べて、理科で扱う内容は現に身の回りで起きていることばかりです。力も運動も天体も、電気も光も熱も、地震も津波も原発も、現実世界である原理・法則にしたがって動いているものであり、その原理・法則を学ぶのが理科です。
たったいま並べたものを見るとたくさんの原理・法則があるように思うかもしれませんが、それでも数学の解法パターンに比べればはるかに少ない数です。物理・化学・生物・地学に分けて、原理や法則を書き並べれば、それぞれ1枚の紙にほぼ収まってしまうくらいです。それら原理・法則から現れる現象は様々で、教科書や参考書は現象と説明を載せているから分厚いのであって、原理・法則そのものはとても少ないのです。
しかも式そのものがとてもシンプルです。どれくらいシンプルかと言うと、たとえば、
○ F=ma (F:力、m:質量、a:加速度)
○ v=at (v:速さ、a:加速度、t:時間)
○ PV=nRT (P:圧力、V:体積、n:モル数、R:定数、T:温度)
これくらいシンプルです。いずれも比例・反比例の関係ですから、小学生でも処理できる程度のものです。(第1式において、質量一定のとき、力と加速度は比例します。また、力が一定のとき、質量と加速度は反比例します。)
他に2乗に比例するもの(自由落下するとき、落下距離は時間の2乗に比例する)、2乗に反比例するもの(引力は物体間の距離の2乗に反比例する)もありますが、それとて中学生なら処理できる程度のもので、高校理科で出てくる式は、ほとんどこのレベルのものばかりです。
以上をまとめると、理科とは「自然現象を数少ないシンプルな式で表したもの」と言うことができるでしょう。科学とはそういうものです。シンプルさが科学の命です。
とはいうものの、理科の苦手な人が世の中には多いんですね。さて、理科はなぜ難しいのでしょう? あんなにシンプルな式なのに、なぜわかりにくいのでしょう? 数もあんなに少ないのに、なぜ使えないのでしょう?
ここで理科の成り立ちを図で説明しましょう。
理科では「リアルな自然」からエッセンスを抜き出して「式」で表します。それは一種の「モデル」であって、リアルな自然そのものではありません。いわば「バーチャルな自然」です。また式ができれば、逆に式で(バーチャルな)自然を「シミュレーション」することができるようになります。その過程が「理科の問題」になるわけです。
「バーチャルな自然」と呼んだのにはもちろん訳があります。まず、いろんなものを無視するからです。空気抵抗や摩擦を無視したり、熱の出入りを無視したり、場合によっては大きさや重さまで無視したりもします。ですから理科の式と実際の現象との間に誤差があるのは当たり前で、その差は現実とは大きくかけ離れたものになることもしばしばです。
誤差だけではありません。先ほど挙げた「PV=nRT」は「理想気体の状態方程式」と言われるものですが、そこで言う理想状態とは「原理的にありえない状態」です。さらに言うと、先ほど挙げた「自由落下するとき、落下距離は時間の2乗に比例する」という理論と「引力は物体間の距離の2乗に反比例する」という理論は、よくよく考えると矛盾します(興味のある方のために説明しますと、前者は「重力加速度は一定」という前提のもとで成り立つのですが、後者によれば「引力によって引き合えば、距離が変わって引力の強さも変わる」のですから、厳密にはその前提は成り立たないのです)。
このように、理科の原理・法則すなわち公式は、ウソっぽいと言えば確かにウソっぽいものなのです。それは、いろんなことが複雑に入り乱れた「リアルな自然」を数少ないシンプルな式で表すためのカラクリでもあり代償でもあるのですが、おかげでツッコミどころ満載です。
でも一方で、その式が真実だと言えば確かにその通りなのです。シンプルできれいな理論体系です。つまり理科はいわば「ウソっぽい真実」なのでありまして、だからこそ理科を「式で表したバーチャルな自然体系」だと捉えるのが合理的なのです。
さて、結局のところどうすればいいのでしょう。ここでコツを一つ伝授しましょう。
○ 現実から式を見るな。式から現実を見よ。
現実から式を見ようとすると「リアルな自然から式を見る」ことになります。そうなると、その式は誤差が大きくて、現実を映しているとはとても言えず、適用できる範囲が狭くて、中途半端で怪しい代物だということになります。
反対に式から現実を見れば「式を通してバーチャルな自然を見る」ことになります。そうなると、その式は本質をうまくとらえていて、あらゆる場面に適用できて、自然現象をうまく説明できるし、計算によって結果を知ることもできる完全無欠なものであると、そういうことになります。
実験する際にも「実験から式を見るよりも、式から実験を見る」ようにしましょう。式を先に見ると、実験することで「式が現実の自然と(おおよそ)整合性が取れている」ことが確認できます。
反対に実験を先に見ると、何のための実験なのかさっぱりわからなかったり、実験結果の誤差ばかりが目について式のウソっぽさが際立ったり、実験のやり方そのものがウソっぽく感じられたりすることもあるでしょう。
たとえば「塩酸と水酸化ナトリウムを混ぜるとどうなるか?」という実験をする場合、「NaOH+HCl→NaCl+H2O」という式を先に見れば「ふむふむ」とうなづけるでしょうけれども、実験を先に見ると「それって本当に塩酸なの? どうしてそれが水酸化ナトリウムだってわかるの?」と実験そのものが疑わしく感じられるでしょう。
「空気抵抗や摩擦を無視する」という件についても同じです。そもそも「空気抵抗や摩擦を無視すれば・・・云々」と言ってのけられる人は原理・法則が理解できているからであって、それをまだ理解していない人は「どうしてそれを無視するんだ?」と思うはずです。考えてもみてください。空気抵抗を無視したら鳥は空を飛べないし、摩擦がなければ車のタイヤは回らないし、それどころか人は一歩たりとも歩けないのですから、そんな条件の下で運動を考えること自体がナンセンスだと感じるのは、いたってまともな感覚だと言えるでしょう。
そう考えると「空気抵抗や摩擦を無視する」という条件は、かなり無茶な条件でもあるわけです。それでも無視しなければいけないわけです。人によってはその点もなかなか腑に落ちないところだと思いますが、ではどうやってそれを腑に落とせばいいのかというと、結局のところ「式から現実を見る」ようにすればいいのです。式には空気抵抗を表す文字も摩擦を表す文字も出てこないのですから、それらを無視するしかないのです。単純な話です。
話を元に戻しましょう。どうやって理科を攻略したらいいかというと、シンプルで数少ない原理・法則をしっかり「式で理解する」ことです。ウソっぽさ・疑わしさを解消して、「そりゃそうだよ」と心から納得できるくらいに、「当たり前だ」と思えるくらいに式をしっかり腑に落とすことです。
そのために、まず式に出てくるパーツの意味をしっかりつかみましょう。たとえば「F=ma」の「F:力」は「押したときにかかる力」です。学力とか計算力とか努力とか、そういう力とは無関係です。「m:質量」は重力とは微妙に違います。その違いを丁寧に確認しましょう。「a:加速度」は変化率です。その概念を確実につかみましょう。また、Fとmとaの単位も大事です。そこをおろそかにしたままで計算に走ると、すぐに行き詰ります。
というより、計算する必要はほとんど無いんです。先ほど書いたように、小学校レベルかせいぜい中学校レベルの計算しか出てこないのですから、計算が難しいはずはないんです。式を理解するために、簡単なシミュレーション(つまり計算)をしてみることはあってよいと思いますが、反復練習する必要はまるでありません。それより式で表された原理・法則をしっかり腑に落とすことに専念するべきです。
物理の力学分野で4つか5つ、電気分野で4つか5つ・・・そうやって分野ごとにストン、ストンといくつかずつ腑に落とせば物理は完成です。化学でも生物でも地学でも基本的には同じです。
大学受験に限らず、中学受験でも高校受験でも同じです。つり合いでストン、バネでストン、滑車でストン、自転でストン、公転でストン・・・こんな風に理科の理解は進みます。理科の学習で大事なことは、ストンを経験することです。ストンの数だけ理解が深まります。
教科書や参考書に載っている図や写真やグラフは、その感覚を補強してくれます。授業中に先生がやる小道具を使ったパフォーマンスもそうですし、みんなが手を下してやる実験もそうです。物を投げれば放物線軌道を描きながら飛んでいくことなど、身の回りで起きている現象を式に引き寄せてとらえれば「なるほど」と腑に落ちることもあるでしょう。
もともと理科の教材は、そのためにあるのです。あの手この手の説明も、中途半端な小道具も、デフォルメされた図解も、的外れのような気がしなくもない例え話も、すべては原理・法則をしっかり腑に落とすためにあるのです。
ところで、次のことが大事なポイントなのですが、いろんな説明や現象の1つ1つをしっかり理解しなくてもいいのです。分からないものは分からなくても構わないのです。要するに、山ほどある説明や現象のうち、どれかが自分にヒットすればいいのです。
たとえば、理科の先生が栓抜きで「てこの原理」を説明する場合、栓抜きを見たことがない人には理解できないでしょう。でも、缶ジュースのプルタブでその原理が理解できるなら、それでいいのです。なにも栓抜きで理解しなければならない道理はないのです。
もちろん、いろんな説明や現象で理解できるなら、それに越したことはないのですが、ある説明やある現象が分からないからといって、そこで立ち止まってしまっては何にもなりません。原理・法則を腑に落とすことが目的なのですから、つまみ食いでも選り好みでも、自分に合うものをちゃっかり利用すればいいのです。
ではそろそろ結論といきましょう。
○ どの参考書が自分にぴったり合うか、本屋で3時間ねばって選べ。
理科の原理や法則や公式は、自然をそのまま表したものというより、モデルです。理科の練習問題や試験問題は、モデルをもとにしたシミュレーション。そのように受け取りましょう。
現実の自然はたくさんの要因が複雑に絡まっていますが、そこからある要因を抜き出してシンプルにモデル化したものが理科。だから、現実そのものではありません。そして学習が進むにつれて、すなわち学年が進むにつれてモデルが変わります。小学校で習うモデルと、中学校で習うモデルと、高校で習うモデルは違うのです。そしてモデルが変われば、シミュレーション結果も変わります。これは他の教科には無い、理科だけの特徴です。理科とはそういうものなのです。
現実の自然はたくさんの要因が複雑に絡まっていますが、そこからある要因を抜き出してシンプルにモデル化したものが理科。だから、現実そのものではありません。そして学習が進むにつれて、すなわち学年が進むにつれてモデルが変わります。小学校で習うモデルと、中学校で習うモデルと、高校で習うモデルは違うのです。そしてモデルが変われば、シミュレーション結果も変わります。これは他の教科には無い、理科だけの特徴です。理科とはそういうものなのです。
理科目線が生きる場所
さて、理科を学ぶことが、将来何につながるかというと、理学や工学を挙げるより、私は経済学とプログラミングを挙げたい。複雑怪奇なお金の世界のある部分を抜き出してモデル化して、条件を変えながらシミュレーションするのが経済学。実現したいこと・コンピュータにさせたい動きをモデル化して、コードを書いてシミュレーションするのがプログラミング。そのように考えると、理科は文系・理系を問わず、とても大事な教科だと言えます。
そして経済学もプログラミングも、現実とはだいぶ違うわけです。現実はそんなにシンプルなものじゃない。もっともっと複雑怪奇。ですからだいぶ違います。けれど、そこそこの整合性はある。
理科も同じなのです。くれぐれも、そこに現れた光景は現実そのものではありません。あくまでもモデルに基づいたシミュレーション結果なのです。もちろん現実との整合性はあるのでしょうけれど、そのことはあまり積極的に考えない方が良い。なぜなら、突き詰めれば突き詰めるほど、整合性どころか綻びの方が目立つからです。モデルとは、そういうものです。
でも現実そのものではないけれど、何かしら真理みたいなものを含んでいるとみなせる。理想形と呼んでも良い。
そして、そのように理科という教科を捉えることで、理科の勉強がやりやすくなる。分かりやすくなる。
理科の原理・法則を腑に落とす
あ
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