2020年12月27日日曜日

☆ 農地的な生き方

自然と都会の間に農地がある。
農地は自然そのものではない。そこには人の手がたくさん入っている。
農地は完全な人工物でもない。自然の力がなければ、農地は成り立たない。
  ◇ 農地的な生き方 
   (→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_471.html )
  ◇ 野生のリサイクル 
   (→ https://omori55.blogspot.com/2019/04/blog-post_75.html )
  ◇ オレが死んだらライオンのエサにしてくれ 

人間の体は農地だ。自然には逆らえないが、調子が悪ければ手を入れて整えたいと思う。
脳ミソも農地だ。耕したり休ませたりしながら、力を発揮できるような土壌を作りたい。
子供も農地だ。計画通りに育つはずもないので、各自の中に宿る自然の力を引き出そう。

2020年12月25日金曜日

☆ 値段の決まり方

モノの値段・価格についての3話。

  ◇ 需要曲線 と 供給曲線 
  ◇ 談合はなぜ無くならないのか? 
  ◇ ご利益 と 利益 

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需要曲線と供給曲線

 経済を考えるときの基本中の基本といえば「需要曲線と供給曲線」。右のようなグラフである。高校の政治経済や現代社会で必ず出てくる。需要は Demand だから「D」で書く。供給は Supply だから「S」で書く。また、価格は Price だから「P」で、量は Quantity だから「Q」で書く。
 この曲線の説明は大抵こういうものだ。
 買い手の立場で考えると、価格が下がれば買いたい人が増え、価格が上がれば買いたい人は減るから、需要曲線は右下がりの曲線になる。一方、売り手の立場で考えると、価格が上がれば増産し、価格が下がれば減産するから、供給曲線は右上がりのグラフになる・・・(※)

と。確かに分かりやすい。日常的な感覚ともフィットする。
 けれども、最初は分かりやすくても、だんだん分からなくなってくる。なぜだろう? 最初はすんなり入ってきたものが、途中から引っかかるようになるのである。そして「まっいいかっ」と思ってしまう。分かったような、分からないような状態のままで、この曲線をないがしろにする。
 さて、何が難しいのか? どこで引っかかるのか? それは右の(図1)と(図2)の違いにある。
 (図1)と(図2)では縦軸と横軸が逆になっている。でもこの2つのグラフは、同じといえば同じである。(縦軸と横軸を入れ替えたからといって、D曲線とS曲線が入れ替わる訳でもない。ご確認あれ)
 先ほどの(※)印の説明から描けるのは(図1)である。そのくせ教科書に載っているのは(図2)なのだ。そして実は(図1)と(図2)は同じものでありながら、その間にはちょっとした思考の飛躍があるのである。
 数学的に言うと、こういうことだ。
 横軸=x 軸の値を決めると、縦軸=y 軸の値が決まる。つまり、x が input で、y が output。言い方を変えると、x が原因で、y が結果。つまり(図1)と(図2)では因果関係が逆になっているわけだ。
 具体的に言うと、(図1)は「価格によって量が決まる」、すなわち「価格を input すると、量が output される」=「価格が原因となって、結果として量が決まる」という話で、(図2)では「量によって価格が決まる」、すなわち「量を input すると、価格が output される」=「量が原因となって、結果として価格が決まる」という話。
まるで逆だということがお分かりいただけるだろうか。

 では、なぜ経済学の教科書では(図2)のように描くのだろう? その訳は「量によって、価格が決まる」という立場に立っているからだろう。つまり「まず価格ありき」ではなくて、「諸条件が動いた結果として価格が決まる」と考えているからということだ。先ほどの(※)印の説明は、そうはなっていないのだが。
 「同じなんだけど、まるで逆」、それを納得するだけでも「需要曲線と供給曲線」を理解しやすくなるんじゃないかと思う。この関係こそが経済学の基本中の基本にして、応用が利いて、あえて言えば「万能のグラフ」である。

昔のお金と今のお金、そして未来のお金

 昔のお金は「物々交換の仲立ち」だった。山男が芋を、海男が魚を、田男が米を持っていて、他の物と交換したいと考えたとしよう。ところがお金がないと、うまくいかない場合がある。

《ケース1》山男が魚を、海男が米を、田男が芋を欲しいと思った場合。
      お金がないと、3人が同じ場所に居合わせない限り、取引が成立しない。
      お金があれば「魚 ⇔ お金 , 米 ⇔ お金 , 芋 ⇔ お金」、これで取引が成立する。

《ケース2》山男が魚1匹を、海男が芋1個を欲しいと思っているが、
      芋3個と魚2匹が等価である場合。
      山男か海男が「そんなにたくさんは食えんなぁ」と考えれば、取引が成立しない。
      お金があれば「魚1匹 ⇔(芋1個+差額のお金)」、これで取引が成立する。

 かくもお金は便利なものである。だからお金が流通するようになった。これが「昔のお金」である。一時的にお金を保管することはあっても、それは 最終的には必ず物と交換された。

 さて、「今のお金」には、それをはるかに超えた意味合いがある。もちろん物々交換の仲立ちとしての意味合いも残っているが、それは貧乏人がはした金を使う場合の話である。
 金持ちにとって、あるいは企業にとって、お金は物を交換するためにあるのではない。彼らにとって、お金は「物を生み出すため」にあるのだ。つまり、資本としてのお金である。
 今のお金は物を生み、物はお金を生む。そうやって自己増殖する。

 そんなことは昔のお金にはできなかった。昔は「自然が物を作ってくれた」のである。昔の人々はお金を媒介として、それを交換したにすぎない。昔のお金は、決して物を作ったりはしなかった。
 ところが今は、お金(=資本)が物を生み出しながら、自己増殖するのである。でも、なぜなんだろう? 無から有が生じることはない。たかが紙切れが、あるいは金属の欠片が、なぜ物を生み出すのか?
 もちろんそこにはカラクリがある。そのカラクリとは「資源とエネルギーの消費」である。化石燃料を大量に消費し、物を生産して、物を消費する。これがお金と物の自己増殖のメカニズムである。
 そして、これが資本主義経済の本性であり、前提であり、そして同時に限界でもある。

 未来に思いを馳せてみよう。未来のお金は、どんな姿をしているんだろう? それは、何のために存在するんだろう?


★ 税・保険・値段

 ☆ 保険の損得
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_519.html )


  ◇ 国家は何のためにあるのか?
  ◇ 所得税の最高税率はなぜ下がったのか?
  ◇ パナマ文書はどこから流れてきたか?  など 

★ 見えない未来を見てみよう

 ☆ 未来予測1

  ◇ 分譲マンション、スラム化の法則
  ◇ 20年後の人口ピラミッド
  ◇ 第4次産業の時代



  ◇ 石油の最後の1滴
  ◇ 核家族の終わり
  ◇ 動物の脳が人間を超えるときこそがシンギュラリティ



  ◇ 成長の時代と成熟の時代
  └→ 第二次世界大戦で世界はリセットされた
  ◇ 日本の高度成長は何だったのか?
  └→ 国の豊かさと個人の豊かさ
  ◇ 成長の終わりの始まり
  └→ 交易条件が変わった
  ◇ なぜバブルは起きるのか?
  └→ 資本主義は拡大することでなりたつ
  ◇ これから先も日本が先頭を走るだろう

☆ 未来予測2

  先の見えない時代と言いますが、はっきりくっきり見えている未来もあります。

 石油を掘るための燃料は、石油です。簡単に掘れるものが無くなったら、より多くの石油を投入すればまた掘れる。その分価格が上昇して、同時に採算がとれる部分も広がる。こうして石油はいくらでも湧いてくる。

 子供がたくさん生まれて、かつ人口が田舎から都会に移動した時代にできた家族形態が核家族だ。昔から当たり前にあった形ではないし、いつまでも続くわけでもない。

 コンピュータが人間を超えるというけれど、何のことはない、人間は何十年も前から計算の速さと正確さにおいて電卓に負けている。人工知能が機械であるうちは心配は要らない。