2021年1月17日日曜日
2021年1月8日金曜日
現代文明は「石油文明」である。
「地球温暖化」や「自然エネルギー」の話になると、みんな、石油を悪者扱いしているように見えます。でも、そんな扱いでいいんでしょうか? そんなわけで、今日は「石油」について考えます。
◇ 「発電」は石油の能力のほんの一部
石油は、発電だけに使われるのではありません。「石油=原油」を精製すると、たくさんの種類の石油製品ができます。
LPガス、ナフサ、ガソリン、軽油、灯油、重油、アスファルト
発電のための燃料は「重油」ですが、私たちが石油を発電以外の いろんな用途に利用 しています。ナフサは化学工業の原料です。プラスチックや化学肥料がこれから作られます。ガソリン・軽油・灯油は、輸送用の燃料です。アスファルトは道路になります。人間は「石油」を見事に全部使い切っているわけです。(かつてのクジラと同じように)
◇ 「発電」は石油の能力のほんの一部
石油は、発電だけに使われるのではありません。「石油=原油」を精製すると、たくさんの種類の石油製品ができます。
LPガス、ナフサ、ガソリン、軽油、灯油、重油、アスファルト
発電のための燃料は「重油」ですが、私たちが石油を発電以外の いろんな用途に利用 しています。ナフサは化学工業の原料です。プラスチックや化学肥料がこれから作られます。ガソリン・軽油・灯油は、輸送用の燃料です。アスファルトは道路になります。人間は「石油」を見事に全部使い切っているわけです。(かつてのクジラと同じように)
一方で、太陽光であれ、風力であれ、原子力であれ、それらができるのは発電だけです(原子力は、ご存知のように別の使い方があるようですが・・・)。この点から「クリーンエネルギーあるいは原子力は、石油の代替になりえない」と言えます。
◇ 火力発電は「廃物利用」
「石油=原油」を精製してできる各種石油製品は、ザックリ言うと軽いものほど高級です。石油製品を軽い順に書いてみると、次のようになります。
「LPガス → ナフサ → ガソリン → 軽油 → 灯油 → 重油 → アスファルト」
火力発電では「重油」を使いますが、重油は石油製品の中ではかなり低質のものなんですね。重油はいわば、原油から高級成分を取り出した残り(カス)と言えます。重油ではプラスチックを作れませんし、乗り物の燃料にもなりません。言うなれば、燃やして熱を利用するしか他に使い道のないものなんです。(「アスファルト」 は燃えもしないので、粘性だけを利用して道路に使っていますね)
さて、石油の高級成分を使えば、イヤでも重油が残ります。もしこれを燃やさないとすると、どうやって処分したらいいんでしょう?・・・結局は 燃やすしかなさそうです。だったら、ついでに 発電した方が合理的 ではないでしょうか?・・・カスでもそれくらいはできるのですから。
「ゴミ焼却場で発電」なんて話もありますが、火力発電も「廃物利用」だと考えることができます。その意味で、火力発電はあんがいエコロジー だと言えなくもないわけです。
◇ 現代文明の根幹に「輸送」あり
現代文明を成り立たせているエネルギーで最も大事なものは「電気」ではありません。電気よりもっと大事なものがあります。それは「輸送のためのエネルギー」です。たとえば、食料が外から運ばれなくなったら、東京は成り立ちませんね。「現代文明は大量輸送によって成り立っている」のです。
輸送のための燃料は、少なくとも現在は「石油だけ」です。さて、ソーラーカーはどうでしょうか? 「車体の軽量化」ウンヌンと言ってる時点で絶望的ですね。数トンの荷物を運べなければ使い物になりませんから。さらに、数百km移動 できることも絶対条件です。将来の可能性を否定することはしませんが、かなり難しいことは事実です。(やっぱり絶望的かも・・・)
自動車メーカーはいろんなエンジンを開発しようとしているようです。でも、マイカー向けに開発してもダメなんです。トラック用が開発されなければ。
石油ならそれが簡単にできます。(石油が液体であることも大きなメリットの一つです。)石油の代替を探すなら、まず第一に輸送のためのエネルギーを考えるべきでしょう。
◇ まとめ
「現代文明=石油文明」だということを、再確認するべきだとボクは思います。ボクたちの身の回りにあるものは、石油で掘った資源を、石油で加工し、石油で運んできたものばかりです。ボクたちは石油を撒いて育ったものを毎日食べています。
石油の能力のうち「発電」はほんの一部であり、しかも一番大きな能力ではありません。言うなれば、メインの能力を発揮した余力で、「発電も」しているというところでしょう。
また、現代社会の成り立ちをみても、「電力」が最も重要なエネルギーであるとは言えません。
一方で、各種代替エネルギーが目指しているのは「発電だけ」であり、しかも未完成です。いずれにせよ、仮に代替エネルギーが完成したとしても、石油の代替にはなりえないということです。
確かに「石油」と「火力発電」にはいろいろ問題があります。けれども、石油を悪者扱いしていたのでは、逆に問題の 本質が見えなくなる のではないかとボクは感じます。むしろ「石油は 神だ」くらいの認識から始める方が賢明なのではないでしょうか。
◇ 火力発電は「廃物利用」
「石油=原油」を精製してできる各種石油製品は、ザックリ言うと軽いものほど高級です。石油製品を軽い順に書いてみると、次のようになります。
「LPガス → ナフサ → ガソリン → 軽油 → 灯油 → 重油 → アスファルト」
火力発電では「重油」を使いますが、重油は石油製品の中ではかなり低質のものなんですね。重油はいわば、原油から高級成分を取り出した残り(カス)と言えます。重油ではプラスチックを作れませんし、乗り物の燃料にもなりません。言うなれば、燃やして熱を利用するしか他に使い道のないものなんです。(「アスファルト」 は燃えもしないので、粘性だけを利用して道路に使っていますね)
さて、石油の高級成分を使えば、イヤでも重油が残ります。もしこれを燃やさないとすると、どうやって処分したらいいんでしょう?・・・結局は 燃やすしかなさそうです。だったら、ついでに 発電した方が合理的 ではないでしょうか?・・・カスでもそれくらいはできるのですから。
「ゴミ焼却場で発電」なんて話もありますが、火力発電も「廃物利用」だと考えることができます。その意味で、火力発電はあんがいエコロジー だと言えなくもないわけです。
◇ 現代文明の根幹に「輸送」あり
現代文明を成り立たせているエネルギーで最も大事なものは「電気」ではありません。電気よりもっと大事なものがあります。それは「輸送のためのエネルギー」です。たとえば、食料が外から運ばれなくなったら、東京は成り立ちませんね。「現代文明は大量輸送によって成り立っている」のです。
輸送のための燃料は、少なくとも現在は「石油だけ」です。さて、ソーラーカーはどうでしょうか? 「車体の軽量化」ウンヌンと言ってる時点で絶望的ですね。数トンの荷物を運べなければ使い物になりませんから。さらに、数百km移動 できることも絶対条件です。将来の可能性を否定することはしませんが、かなり難しいことは事実です。(やっぱり絶望的かも・・・)
自動車メーカーはいろんなエンジンを開発しようとしているようです。でも、マイカー向けに開発してもダメなんです。トラック用が開発されなければ。
石油ならそれが簡単にできます。(石油が液体であることも大きなメリットの一つです。)石油の代替を探すなら、まず第一に輸送のためのエネルギーを考えるべきでしょう。
◇ まとめ
「現代文明=石油文明」だということを、再確認するべきだとボクは思います。ボクたちの身の回りにあるものは、石油で掘った資源を、石油で加工し、石油で運んできたものばかりです。ボクたちは石油を撒いて育ったものを毎日食べています。
石油の能力のうち「発電」はほんの一部であり、しかも一番大きな能力ではありません。言うなれば、メインの能力を発揮した余力で、「発電も」しているというところでしょう。
また、現代社会の成り立ちをみても、「電力」が最も重要なエネルギーであるとは言えません。
一方で、各種代替エネルギーが目指しているのは「発電だけ」であり、しかも未完成です。いずれにせよ、仮に代替エネルギーが完成したとしても、石油の代替にはなりえないということです。
確かに「石油」と「火力発電」にはいろいろ問題があります。けれども、石油を悪者扱いしていたのでは、逆に問題の 本質が見えなくなる のではないかとボクは感じます。むしろ「石油は 神だ」くらいの認識から始める方が賢明なのではないでしょうか。
☆ エネルギーのそもそも論
「エネルギーを使えばいろんなことが出来る」ことと「エネルギーを作り出す」こととはまったく別物です。
ですから「技術がエネルギー問題を解決する」とは限らないのです。むしろ「エネルギーを使わない技術に何が出来るのか?」と問うべきなのです。
2020年12月30日水曜日
☆ 論理には4種類ある
「論理」あるいは「論理的」という言葉は実は非常にあいまいな言葉であって、現実にはいろんな意味合いで使われます。ここでは「論理」を4つに分けて考えます。「記号論理、数学の論理、科学の論理、議論の論理」の4つです。
◇ 論理には4種類あるこの4つの論理は、互いに重複して使われるし、もちろんどれも必要です。うまく使い分けたい。そのためには、それぞれの違いを鮮明に理解しておくことが肝要です。
◇ 数学的正しさで物事を解決しようとする人とは、なぜ議論が成り立たないのか?
★ 論理と一言でいうけれど
〜 屁理屈から理屈を取ったら屁だけが残る 〜
☆ 論理式はデジタル仕様
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_21.html )
◇ 1枚のカード問題
◇ 4枚のカード問題
◇ 天秤ばかりのおもりはなぜ2進法なのか?
☆ 説明しない人々
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_957.html )
◇ レストランのおすすめメニュー
◇ おまわりさんと三文判
◇ 身元引受人はつまり何を引き受けるのか?
☆ 正しい議論は無意味である
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_245.html )
◇ カラスは黒いのか?
◇ 「ソクラテスは死ぬ」のか?
◇ バカを論証する
can と can't との些細にして遥かなる差
- 「I can speak English.」と「I can't speak English.」とでは、意味は正反対だが、しゃべる場合の音の差はどれくらいだろうか?
「I can't speak English.」と言うとき、しゃべる側は実際「t」の音を発していない。だから聞く側にも「t」の音は全く聞こえない。にもかかわらず、ちゃんと伝わるのは考えれてみれば不思議だ。...
もし私がそれをしゃべる場面になったときは、私は「t」を極端にはっきり発音するか、もしくは「can not」と言うだろう。でもそれは英語ネイティブの人にとって、非常に不自然なしゃべり方に違いない。
「can」と「can't」とでは意味は正反対。でも音はほとんど同じ。少なくとも私にはそう感じるのだ。できるだけ流暢にかっこよくしゃべりたい。けれども「can't」と言ったつもりが「can」と伝わったら困る。だから私はみなさんにお尋ねしたいのだ。
もし私がそれをしゃべる場面になったときは、私は「t」を極端にはっきり発音するか、もしくは「can not」と言うだろう。でもそれは英語ネイティブの人にとって、非常に不自然なしゃべり方に違いない。
「can」と「can't」とでは意味は正反対。でも音はほとんど同じ。少なくとも私にはそう感じるのだ。できるだけ流暢にかっこよくしゃべりたい。けれども「can't」と言ったつもりが「can」と伝わったら困る。だから私はみなさんにお尋ねしたいのだ。
- 「I can speak English.」と「I can't speak English.」とでは、意味は正反対だが、しゃべる場合の音の差はどれくらいだろうか?
では、よろしく!
ブログでもフェイスブックでも、そして職場でもいろんな人に聞いてみた。そうしたら答えはまちまち。
- 「can't」の後にほんの少し間が空く
- 「can」は短く弱く、「can't」は少し長めに強く
- 「can」は音程が下がる、「can't」は音程が上がる
どれも合っていそうだが、いまいちパキッとしないものだから、さらにいろんな人に聞いてみた。そうしたら、同僚の英語科のAさんが即答してくれた。(発音記号で説明してくれたのだが、ここでは発音記号を使えないので、それなりに書いてみる)
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
英語の「a」と「e」をくっつけたような記号
↓
↓
「can」を発音記号で書くと「k(e)n」、「can't」を発音記号で書くと「kaen(t)」
↑
英語の「e」をさかさまにした記号
「can」の「e」は口をあまり開けない弱い音。「キャン」よりむしろ「kn」(クン)に近い。
「can't」の「ae」は口を大きく横に開く強い音。「t」はほとんど音を出さないから、「キャン」と聞こえる。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
すごく説得力があった。きっとそうに違いない。ちなみに別の英語科の同僚は
- 文脈からわかる
と言った。僕には説得力はいまいちだった。
余談だが、先ほどの同僚のAさんに「bridge(橋)とedge(端)とchopsticks(箸)を日本語で言ってみろ」と振ってみたら、イントネーションがガタガタだった。(Aさんは東北地方出身で、実は北陸出身の私も苦手なのだが)
英語と日本語の些細にしてはるかなる差
「人と人とは分かり合えない」を前提にしているのが英語。だから、少しでも理解し合うために説明する。
「人と人とは分かり合える」を前提にしているのが日本語。だから、遠回しにボカシて、はっきり言わない。
・・・ どっちがいいとかそういうことではないけれど、入試や仕事で必要なのは、説明すること、理解すること。
「人と人とは分かり合える」を前提にしているのが日本語。だから、遠回しにボカシて、はっきり言わない。
・・・ どっちがいいとかそういうことではないけれど、入試や仕事で必要なのは、説明すること、理解すること。
登録:
投稿 (Atom)