2020年12月30日水曜日

☆ 論理には4種類ある

 「論理」あるいは「論理的」という言葉は実は非常にあいまいな言葉であって、現実にはいろんな意味合いで使われます。ここでは「論理」を4つに分けて考えます。「記号論理、数学の論理、科学の論理、議論の論理」の4つです。
◇ 論理には4種類ある 
◇ 数学的正しさで物事を解決しようとする人とは、なぜ議論が成り立たないのか? 

 この4つの論理は、互いに重複して使われるし、もちろんどれも必要です。うまく使い分けたい。そのためには、それぞれの違いを鮮明に理解しておくことが肝要です。

★ 論理と一言でいうけれど

 〜 屁理屈から理屈を取ったら屁だけが残る 〜


☆ 論理式はデジタル仕様
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_21.html )

  ◇ 1枚のカード問題
  ◇ 4枚のカード問題
  ◇ 天秤ばかりのおもりはなぜ2進法なのか?


☆ 説明しない人々
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_957.html )

  ◇ レストランのおすすめメニュー
  ◇ おまわりさんと三文判
  ◇ 身元引受人はつまり何を引き受けるのか?


☆ 正しい議論は無意味である
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_245.html )

  ◇ カラスは黒いのか?
  ◇ 「ソクラテスは死ぬ」のか?
  ◇ バカを論証する

can と can't との些細にして遥かなる差

  • I can speak English.」と「I can't speak English.」とでは、意味は正反対だが、しゃべる場合の音の差はどれくらいだろうか?
 「I can't speak English.」と言うとき、しゃべる側は実際「t」の音を発していない。だから聞く側にも「t」の音は全く聞こえない。にもかかわらず、ちゃんと伝わるのは考えれてみれば不思議だ。...
 もし私がそれをしゃべる場面になったときは、私は「t」を極端にはっきり発音するか、もしくは「can not」と言うだろう。でもそれは英語ネイティブの人にとって、非常に不自然なしゃべり方に違いない。
 「can」と「can't」とでは意味は正反対。でも音はほとんど同じ。少なくとも私にはそう感じるのだ。できるだけ流暢にかっこよくしゃべりたい。けれども「can't」と言ったつもりが「can」と伝わったら困る。だから私はみなさんにお尋ねしたいのだ。
  • I can speak English.」と「I can't speak English.」とでは、意味は正反対だが、しゃべる場合の音の差はどれくらいだろうか?
 では、よろしく!



 ブログでもフェイスブックでも、そして職場でもいろんな人に聞いてみた。そうしたら答えはまちまち。
  • can't」の後にほんの少し間が空く
  • can」は短く弱く、「can't」は少し長めに強く
  • can」は音程が下がる、「can't」は音程が上がる
 どれも合っていそうだが、いまいちパキッとしないものだから、さらにいろんな人に聞いてみた。そうしたら、同僚の英語科のAさんが即答してくれた。(発音記号で説明してくれたのだが、ここでは発音記号を使えないので、それなりに書いてみる)

  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜

                   英語の「a」と「e」をくっつけたような記号
                                 ↓
can」を発音記号で書くと「k(e)n」、「can't」を発音記号で書くと「kaen(t)」
              ↑
        英語の「e」をさかさまにした記号

can」の「e」は口をあまり開けない弱い音。「キャン」よりむしろ「kn」(クン)に近い。
can't」の「ae」は口を大きく横に開く強い音。「t」はほとんど音を出さないから、「キャン」と聞こえる。

  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜

すごく説得力があった。きっとそうに違いない。ちなみに別の英語科の同僚は
  • 文脈からわかる
と言った。僕には説得力はいまいちだった。

 余談だが、先ほどの同僚のAさんに「bridge(橋)とedge(端)とchopsticks(箸)を日本語で言ってみろ」と振ってみたら、イントネーションがガタガタだった。(Aさんは東北地方出身で、実は北陸出身の私も苦手なのだが)

英語と日本語の些細にしてはるかなる差

「人と人とは分かり合えない」を前提にしているのが英語。だから、少しでも理解し合うために説明する。

「人と人とは分かり合える」を前提にしているのが日本語。だから、遠回しにボカシて、はっきり言わない。

・・・ どっちがいいとかそういうことではないけれど、入試や仕事で必要なのは、説明すること、理解すること。

2020年12月27日日曜日

☆ 農地的な生き方

自然と都会の間に農地がある。
農地は自然そのものではない。そこには人の手がたくさん入っている。
農地は完全な人工物でもない。自然の力がなければ、農地は成り立たない。
  ◇ 農地的な生き方 
   (→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_471.html
  ◇ 野生のリサイクル 
   (→ https://omori55.blogspot.com/2019/04/blog-post_75.html )
  ◇ オレが死んだらライオンのエサにしてくれ 

人間の体は農地だ。自然には逆らえないが、調子が悪ければ手を入れて整えたいと思う。
脳ミソも農地だ。耕したり休ませたりしながら、力を発揮できるような土壌を作りたい。
子供も農地だ。計画通りに育つはずもないので、各自の中に宿る自然の力を引き出そう。

2020年12月25日金曜日

☆ 値段の決まり方

モノの値段・価格についての3話。

  ◇ 需要曲線 と 供給曲線 
  ◇ 談合はなぜ無くならないのか? 
  ◇ ご利益 と 利益 

需要曲線と供給曲線

 経済を考えるときの基本中の基本といえば「需要曲線と供給曲線」。右のようなグラフである。高校の政治経済や現代社会で必ず出てくる。需要は Demand だから「D」で書く。供給は Supply だから「S」で書く。また、価格は Price だから「P」で、量は Quantity だから「Q」で書く。
 この曲線の説明は大抵こういうものだ。
 買い手の立場で考えると、価格が下がれば買いたい人が増え、価格が上がれば買いたい人は減るから、需要曲線は右下がりの曲線になる。一方、売り手の立場で考えると、価格が上がれば増産し、価格が下がれば減産するから、供給曲線は右上がりのグラフになる・・・(※)

と。確かに分かりやすい。日常的な感覚ともフィットする。
 けれども、最初は分かりやすくても、だんだん分からなくなってくる。なぜだろう? 最初はすんなり入ってきたものが、途中から引っかかるようになるのである。そして「まっいいかっ」と思ってしまう。分かったような、分からないような状態のままで、この曲線をないがしろにする。
 さて、何が難しいのか? どこで引っかかるのか? それは右の(図1)と(図2)の違いにある。
 (図1)と(図2)では縦軸と横軸が逆になっている。でもこの2つのグラフは、同じといえば同じである。(縦軸と横軸を入れ替えたからといって、D曲線とS曲線が入れ替わる訳でもない。ご確認あれ)
 先ほどの(※)印の説明から描けるのは(図1)である。そのくせ教科書に載っているのは(図2)なのだ。そして実は(図1)と(図2)は同じものでありながら、その間にはちょっとした思考の飛躍があるのである。
 数学的に言うと、こういうことだ。
 横軸=x 軸の値を決めると、縦軸=y 軸の値が決まる。つまり、x が input で、y が output。言い方を変えると、x が原因で、y が結果。つまり(図1)と(図2)では因果関係が逆になっているわけだ。
 具体的に言うと、(図1)は「価格によって量が決まる」、すなわち「価格を input すると、量が output される」=「価格が原因となって、結果として量が決まる」という話で、(図2)では「量によって価格が決まる」、すなわち「量を input すると、価格が output される」=「量が原因となって、結果として価格が決まる」という話。
まるで逆だということがお分かりいただけるだろうか。

 では、なぜ経済学の教科書では(図2)のように描くのだろう? その訳は「量によって、価格が決まる」という立場に立っているからだろう。つまり「まず価格ありき」ではなくて、「諸条件が動いた結果として価格が決まる」と考えているからということだ。先ほどの(※)印の説明は、そうはなっていないのだが。
 「同じなんだけど、まるで逆」、それを納得するだけでも「需要曲線と供給曲線」を理解しやすくなるんじゃないかと思う。この関係こそが経済学の基本中の基本にして、応用が利いて、あえて言えば「万能のグラフ」である。

昔のお金と今のお金、そして未来のお金

 昔のお金は「物々交換の仲立ち」だった。山男が芋を、海男が魚を、田男が米を持っていて、他の物と交換したいと考えたとしよう。ところがお金がないと、うまくいかない場合がある。

《ケース1》山男が魚を、海男が米を、田男が芋を欲しいと思った場合。
      お金がないと、3人が同じ場所に居合わせない限り、取引が成立しない。
      お金があれば「魚 ⇔ お金 , 米 ⇔ お金 , 芋 ⇔ お金」、これで取引が成立する。

《ケース2》山男が魚1匹を、海男が芋1個を欲しいと思っているが、
      芋3個と魚2匹が等価である場合。
      山男か海男が「そんなにたくさんは食えんなぁ」と考えれば、取引が成立しない。
      お金があれば「魚1匹 ⇔(芋1個+差額のお金)」、これで取引が成立する。

 かくもお金は便利なものである。だからお金が流通するようになった。これが「昔のお金」である。一時的にお金を保管することはあっても、それは 最終的には必ず物と交換された。

 さて、「今のお金」には、それをはるかに超えた意味合いがある。もちろん物々交換の仲立ちとしての意味合いも残っているが、それは貧乏人がはした金を使う場合の話である。
 金持ちにとって、あるいは企業にとって、お金は物を交換するためにあるのではない。彼らにとって、お金は「物を生み出すため」にあるのだ。つまり、資本としてのお金である。
 今のお金は物を生み、物はお金を生む。そうやって自己増殖する。

 そんなことは昔のお金にはできなかった。昔は「自然が物を作ってくれた」のである。昔の人々はお金を媒介として、それを交換したにすぎない。昔のお金は、決して物を作ったりはしなかった。
 ところが今は、お金(=資本)が物を生み出しながら、自己増殖するのである。でも、なぜなんだろう? 無から有が生じることはない。たかが紙切れが、あるいは金属の欠片が、なぜ物を生み出すのか?
 もちろんそこにはカラクリがある。そのカラクリとは「資源とエネルギーの消費」である。化石燃料を大量に消費し、物を生産して、物を消費する。これがお金と物の自己増殖のメカニズムである。
 そして、これが資本主義経済の本性であり、前提であり、そして同時に限界でもある。

 未来に思いを馳せてみよう。未来のお金は、どんな姿をしているんだろう? それは、何のために存在するんだろう?


★ 税・保険・値段

 ☆ 保険の損得
(→ https://omori55.blogspot.com/2019/03/blog-post_519.html )


  ◇ 国家は何のためにあるのか?
  ◇ 所得税の最高税率はなぜ下がったのか?
  ◇ パナマ文書はどこから流れてきたか?  など 

★ 見えない未来を見てみよう

 ☆ 未来予測1

  ◇ 分譲マンション、スラム化の法則
  ◇ 20年後の人口ピラミッド
  ◇ 第4次産業の時代



  ◇ 石油の最後の1滴
  ◇ 核家族の終わり
  ◇ 動物の脳が人間を超えるときこそがシンギュラリティ



  ◇ 成長の時代と成熟の時代
  └→ 第二次世界大戦で世界はリセットされた
  ◇ 日本の高度成長は何だったのか?
  └→ 国の豊かさと個人の豊かさ
  ◇ 成長の終わりの始まり
  └→ 交易条件が変わった
  ◇ なぜバブルは起きるのか?
  └→ 資本主義は拡大することでなりたつ
  ◇ これから先も日本が先頭を走るだろう

☆ 未来予測2

  先の見えない時代と言いますが、はっきりくっきり見えている未来もあります。

 石油を掘るための燃料は、石油です。簡単に掘れるものが無くなったら、より多くの石油を投入すればまた掘れる。その分価格が上昇して、同時に採算がとれる部分も広がる。こうして石油はいくらでも湧いてくる。

 子供がたくさん生まれて、かつ人口が田舎から都会に移動した時代にできた家族形態が核家族だ。昔から当たり前にあった形ではないし、いつまでも続くわけでもない。

 コンピュータが人間を超えるというけれど、何のことはない、人間は何十年も前から計算の速さと正確さにおいて電卓に負けている。人工知能が機械であるうちは心配は要らない。

2020年12月16日水曜日

電車広告にあふれる「条件付き確率」について

 採点が終わった答案と2学期の成績を持って、学校に行った。学校で期末試験の模範解答を印刷したのだが、通勤電車の中で見かけたことを文章化して、印刷用紙の隙間に貼り込んだ。
 模範解答だけ印刷してもつまらないので、こうして何かしら付け加える。毎度のことだ。以下、その文面である。



 今日16(水)は成績提出日。学校に向かう電車内の広告に次のような文面があった。

成婚率 業界 No.1

 結婚相談所の広告だ。こういうのを見ると僕はいつも思うのだ。「分母はなに?」と。
 しばらく考えて、わかった。その企業が事業展開しているエリア、得意な年齢層などに絞れば、この手のことは大抵言えてしまう。いや、極端に言えば、成功した事例が1つあれば、非常に限られた範囲で「成功率100%」が成り立つ。こうなれば、他社がどうであろうと、間違いなく「No.1」だ。「同率1位」であっても、確かに「No.1」に違いない。
 例えて言うなら、こういうことだ。試験で  が1つあれば、「その問題に限れば、自分の正答率は100%」なわけだから、確実に「学年1位」なのだよ。同率の人がたくさんいても、自分の「正答率が学年で1位!」であることは確かだ。
 というわけで、電車の中の「成婚率 業界 No.1」みたいなことは必ず言えてしまう。つまりウソではない。
 そしてこの代数のテストにおいても、全員が(ある問題について)「オレが正答率 学年1位だ!」と言える。そう言っても間違いではない。おめでとう。

※ 成婚率であれ正答率であれ それも確率には違いないし、しかも分母によって値が変わるという意味で これは確かに 条件付き確率 の話なのだ。



 中3の代数の試験だが、同じ時期に中3幾何で「条件付き確率」をやっていたので、ちょうど良いタイミングだと思って、代数の試験の模範解答を書いたプリントの余白のスペースに上の文章を貼り込んでおいた。
 実はもう一つ貼り込んだものがある。虚数 i が代数の試験範囲だったので「あい」について熱く語った。【練習問題】と称している。

2020年12月3日木曜日

☆ 税の成り立ち

 のぎへん(禾)は穀物を表し(稲、穂、稔)、つくり(兌)は薄くはぎ取るさまを表す(脱、説、鋭)。
 つまり、汗水ながして手に入れたものを、べりっ、べりべりっと1枚ずつはぎ取るのが「税」である。
・・・ と同僚の政経の教員が言ってた。いたそぅ 。。。

◇ 国家は何のためにあるのか?
  (→ https://omori555.blogspot.com/2020/12/blog-post_33.html

◇ 所得税の最高税率はなぜ下がったのか?
  (→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_40.html )

◇ パナマ文書はどこから流れてきたか?
  (→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_74.html )

◇ 少子高齢化と国債残高が嫌なら外国で働けばいいじゃん!
  (→ https://omori55.blogspot.com/2019/04/blog-post_692.html

◇ 「ふるさと納税」は政府公認のタックス・ヘイブンか?
  (→ https://omori555.blogspot.com/2019/04/blog-post_2.html

◇ ピケティの偉業
  (→ https://omori55.blogspot.com/2020/12/blog-post.html

ピケティの偉業

著書「21世紀の資本」でピケティがやったことは
  • 膨大なデータを集めて、
  • ものすごく大雑把に計算して、
  • 当たり前の結論を導いた
ことである。この3ステップのいずれも偉業と呼ぶにふさわしいが、中でも特に素晴らしいのは、2つ目の
  • ものすごく大雑把に計算した
点にある。たとえば、
  • 「経済成長」は「所得」を増やし、「貯蓄」は「資本」を増やすから、
     等式「資本/所得 = 貯蓄率/経済成長率」が成り立つ
この手の超アバウトな計算をして、
  • 不等式「資本収益率 > 経済成長率」が成り立つ
ことを示した。これは「『金持ちのお金の増え方』は『庶民のお金の増え方』より大きい」ということで、つまり「格差は拡大する」ということになる。これが氏の結論で、言われなくてもわかっているくらいに当たり前のことではあるが、卓見でもある。

そして、ピケティ氏は政策提言にも踏み込んでいく。いわく、
  • 「累進課税」と「資産課税」を強化せよ
要するに「金持ちからたくさん税金を取れ」ということで、この点が庶民感覚に受けている。 さらに氏は、それが効果を発揮するための条件を挙げている。
  • 「世界各国の協調」が大事だ
つまり「タックス・ヘイブンのような国があったら何にもならない」からである。けれどもその条件が満たされることは「各国が協調して温暖化ガス排出量を減らす」ことよりもはるかに難しい。そう考えると、まるで実現性のない提言だということになる。この点に関しては、偉業でもなんでもない。

繰り返すが、氏の偉業は、
  • ものすごく大雑把に計算した
点にこそある。経済学者とは思えないくらい雑にアバウトにざっくりと計算した点がエライのである。